【訃報】 東友会元副会長 山本英典さん
2021年8月8日、原爆症と認定された慢性心不全、骨髄異形性症候群のため死去。享年88歳。12歳のとき長崎市本河内町の自宅で被爆。直後に中心地付近に入市しました。
東友会では、1982年から38年間活動。1983年から事務局次長、2001年から事務局長、2005年から2018年まで副会長として、主に新聞や記念誌編集などと核兵器廃絶を求める諸団体との共闘を中心に活躍。日本被団協では、1998年から事務局次長として、1981年に再建した三鷹市の三友会でも2011年まで事務局長として活動していました。
2003年5月、胃がんの原爆症認定を求めて原爆症認定集団訴訟に参加。2005年から集団訴訟全国原告団長、東京原告団長。2013年には、がん以外の疾病の原爆症認定基準を拡げるため、慢性心不全の原爆症認定を求めてノーモア・ヒバクシャ訴訟に参加。全国と東京の原告団長を歴任。「法廷を被爆の実相普及の場にできれば裁判は勝てる。核兵器廃絶運動の力にもなる」と話し、全国の法廷での画期的な勝利と3度に及ぶ審査方針の改定のために尽力しました。
2016年に東京都生協連など8団体と共催した「お花見平和のつどい」会場で転倒し、歩行が不自由になりましたが、歩行器を押しながら2019年まで活動に参加していました。
広島に被爆者の遺骨を届けた際に粗雑に扱われたという話を悲しみ、被爆60年の年、高尾の東京霊園に私費で「原爆被害者の墓」を建立。すでに51人が納骨されています。
「4.2キロの遠距離被爆で100時間後入市した私が、4種の『原爆症認定書』を持っている。これは、全国の被爆者と弁護団、医師団の力で国に被害の実態を認めさせたからだ。これを力に、原爆被害への国家補償に背を向け続ける政府の姿勢を正したい」とよく語っていました。