被爆75年の広島・長崎 コロナ禍の制約下でも責務果たす
コロナ禍のなかで迎えた被爆75年の8月でしたが、2020年も東友会は広島・長崎に代表を派遣しました。東京都から受託した原爆死没者名簿の照合を両市に依頼し、「東京の木」への献水、平和祈念式典に参列などの事業をおこないました。
広島・長崎も大変な暑さ。代表は、炎天下にマスクをつけて全身汗まみれになりながら、両市の平和公園内を徒歩で移動。被爆75年とあって、マスコミの取材が集中した代表もありましたが、全員が元気に帰京しました。その奮闘ぶりを紹介します。
広島市に東友会が派遣した代表は、遺族代表の湊武さん(東友会業務執行理事)、死没者調査員の福瀬芳子さん(葛飾・葛友会)と村田未知子さん(東友会業務執行理事)。独自に、髙木恭之さん(港・港友会)と福瀬善男さん(葛飾・葛友会)も同行し、5人で行動しました。
8月5日午後、代表は到着後すぐに広島市国際会議場を訪ね、東京都と東友会が掌握した179人の原爆死没者名簿の照合を依頼しました。
6日は新型コロナウイルス感染症対策のため、平和祈念式典に参列できたのは遺族代表1人だけ。他の代表はホテルの自室でNHKの中継を見ながら黙祷を捧げました。
式典後に代表は、1971年に東友会代表が原爆供養塔への参道に植樹したイチョウに献水した後、原爆死没者慰霊碑に献花しました。
その後広島城の脇にある広島市中央公園に移動し、「東京の木」ケヤキへの献水をおこないました。5人だけの寂しい献水式になりましたが、86年4月に植樹してから34歳になったケヤキは、逞しく成長していました。
長崎市に東友会が派遣したのは、遺族代表の小川新七さん(三鷹・三友会)、死没者調査員の佐田憲一さん(国分寺・国分会)と村田業務執行理事でしたが、広島にも出向いた葛友会の福瀬夫妻、中川夏代さん(大田・大友会)が同行しました。
長崎市でも9日の式典に参列できたのは遺族代表のみ。他の5人は、長崎市が用意した第2会場のブリックホールで参列しました。
式典後、代表は平和祈念像前で献花した後、「東京の木」クロガネモチに献水。被爆後の長崎で最初に芽吹いたといわれるクロガネモチは雌雄異体。実をたわわにつけた「東京の木」の姿に、強い生命力を感じました。
原爆死没者名簿の照合は、毎年、長崎市原爆被爆対策部を訪問しています。2020年は、原爆被爆者と特例受診者110人の死没者名簿の照合を依頼。休日にもかかわらず、原爆被爆対策部長、課長などがにこやかに対応しました。
参加者は、「『平和宣言』に感動した」「コロナの元凶と言われる東京から行っても温かく接していただいた」と、代表の責務を果たした安堵の感想を述べていました。