被爆者相談所および法人事務所
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国民平和大行進が広島に向け出発 核兵器なくせ、原爆被害に償いを

核に脅えないですむ世界を 銀座の街で被爆者の思いをアピール

 2016年原水爆禁止国民平和大行進が5月6日、江東区夢の島の第五福竜丸展示館前を出発しました。この行進は1958年に「歩くという人間の最も初歩的な行動によって、人類的課題である原水爆禁止を訴えたい」と広島から東京に1000キロを歩いた青年の行動からはじまったもの。その後毎年つづけられ、59年目になりました。平和行進のメイン東京から広島のコースは、原水禁運動発祥のきっかけとなった第五福竜丸の船体を展示している第五福竜丸展示館前を出発し、3カ月後の広島市平和公園の到着をめざして、各地をリレーされていきます。
 2016年の出発集会では、日本被団協代表の田中煕巳事務局長と東友会代表の家島昌志執行理事が、集会の舞台となった第五福竜丸エンジンの前で挨拶。先頭の横断幕を田中事務局長が支え、その後ろに江東・江友会の松本軍二会長、江戸川親江会の奥田豊治会長など東友会の8人が「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の旗を掲げて、東陽町まで行進しました。
 途中で高層マンションや商店街などで手を振る人を見つけると、参加者は「こんにちは。平和行進です」とよびかけ、大きく手を振ります。スマートフォンで写真を撮る若者たちには、「ラインやフェイスブックで広げてね」と宣伝車から声がかかります。
 午後4時すぎ、行進が銀座にさしかかると、東友会の被爆者が合流して「銀座アピール行進」がはじまりました。大岩孝平代表理事など21人の被爆者が、横断幕を支えて行進の先頭に立って新橋駅まで行進。途中で大岩代表が、「被爆者はみんな高齢となっていますが、命の限り核兵器廃絶を求めます。沿道のみなさん、一緒に歩きましょう」と、宣伝車の脇を歩きながらマイクを持ってアピール。行進はこの日、港区の芝公園に到着しました。

「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の旗、「一般社団法人 東友会」を掲げ、「国民平和大行進」の先頭に立つ東京の被爆者たち。「平和大行進」の横幕も東友会のたすきを掛けた被爆者5人が持っている。後ろに行進参加の各団体の人びとが連なっている。
銀座・有楽町の繁華街で先頭を行く東友会の行進
東友会のたすきをかけた被爆者8人が、第五福竜丸展示館前に立っている。一人がマイクに向かい挨拶をしている場面。「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の旗は竿を一人が持ち、もう一人が旗を広げて掲げている。
出発集会で挨拶する被爆者代表
「国民平和大行進」の横幕を持ち、沿道に手を振りながら笑顔で進む平和行進の先頭に立つ人びと。一人は広島まで歩き続ける通し行進者。「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の旗と、東友会のたすきをかけた被爆者がそのすぐうしろにいる。
江東区内を手を振りながら進む

地域をリレー、世代をリレー 平和行進2日目 港、品川、大田から神奈川へ

 2016年5月7日、港区の芝公園を出発した行進は、品川区、大田区を通って多摩川の六郷橋を渡り、川崎市役所前で神奈川県に引き継がれました。芝公園から品川駅までの先頭は、港・港友会の髙木恭之陽雄さんなど2人。出発に際して挨拶して行進しました。蒲田駅からは、東友会の石飛公也理事と大田・大友会の蒔添安雄さんなど4人が行進に参加。東友会の旗も川崎市役所まで行進し、平和行進は神奈川県に引き継がれました。
 江東区から川崎市までの2日間の行進には、東友会広報委員会の森貞士カメラマン(81歳)が随行。行進の前後を早足で歩きながら、足の痛みをこらえて歩道橋に登って撮影する姿に、「被爆者の意識の高さに感服した」という声もありました。

「国民平和大行進」の横幕を、東友会のたすきをかけた被爆者と通し行進者が持って歩いている。後ろには参加団体の旗やのぼりがいくつも立っており、背景に東京タワー。
東京タワーを背に港区内を行く
大きい幹線道路の幅広い歩道を行く平和行進。「国民平和大行進」の横幕の後ろに林立する旗の中に東友会の旗もある。たすきをかけた被爆者の姿も写っている。
品川区、大田区内を元気に行進
川崎市役所前に集まった人たち。数十人が写っているがこの写真には全体が写っているわけではない。「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」の旗と、「神奈川被爆者の会」ののぼりも見える。
川崎市役所前での引き継ぎ式