被爆70年の広島・長崎 日本政府と両市の姿勢に明暗
広島・長崎への原爆投下から70年目を迎えた大きな節目の2015年、東友会と地区の被爆者の会代表17人は炎天の下、式典への参列やさまざまな行事に参加しました。
広島
被爆70年目の追悼慰霊祭並びに平和祈念式典は、非常に暑い中でおこなわれました。2014年よりも倍増されたテントが救いでした。
東京の遺族代表である家島昌志さん(中野/東友会執行理事)をはじめ、東友会から14人が式典に参列。全体では5万5000人が参加し、外国からの代表も過去最高の100カ国におよぶと報じられました。
松井一實市長は「平和宣言」の中で、「朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜」を含めて、原爆が投下された年の暮れまでに14万人もの人が亡くなったことを強調。為政者が核による威嚇にこだわる言動をくり返す状況に懸念を述べ、「広島をまどうてくれ!」という被爆者の叫びをふまえて、「(核兵器廃絶の)行動を始めるのは今」と訴えました。
各国の為政者に対しては、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みや、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を広めることを要求。オバマ米国大統領をはじめ各国指導者の被爆地訪問を呼びかけました。
一方、安倍晋三首相の挨拶は、例年の枠組み内にとどまり、その後の被爆者団体との意見交換会でも進展はありませんでした。
8月5日午後3時、一番暑い盛りに東京の被爆者と被爆二世の一行10人は、東京の木「ケヤキ」が植樹されている広島中央公園に赴きました。全員で黙とうした後、大岩孝平代表理事が被爆70年を振り返って挨拶。家島昌志事務局長が、帰るところを失った被爆者のよりどころとして考えられた植樹の経緯を説明したのち、全員で献水しました。
水は、「あの日」水を求めた被爆者の渇きを癒すかのように、乾いた根元に吸い込まれていきました。
その後、死没者調査員の大岩孝平さん(三鷹/東友会代表理事)らが広島市の窓口となっている広島市国際会議場を訪ね、昨年亡くなった東京の被爆者223人の名簿を手渡し、広島市の原爆死没者名簿との照合を依頼しました。
長崎
長崎の平和祈念式典は8月9日、午前11時2分を中心に執りおこなわれました。
式典には6700人、外国代表も75カ国から大使などの代表が参加しました。東友会からは、遺族代表の木村徳子さん(世田谷)をはじめ16人が参加しました。
2015年は会場警備が厳重で、所持品検査、印刷物の持ち込みも禁止されました。これは、広島の式典で安倍首相の挨拶の時、「安保関連法案反対」などのポスターやヤジが飛び、それに同調する大きな拍手がわいたため、これを規制しようとしたのでした。
平和宣言で田上富久市長は、「一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する」「核の傘から非核の傘への転換を」と訴え、安保法制の国会審議に対して「日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安」を表明しました。
被爆者代表として「平和の誓い」に立った谷口稜曄日本被団協代表委員は、「今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は多くの人びとが積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません」ときっぱり言い切りました。
安倍首相は、広島では述べなかった「非核3原則の堅持」を復活させるなど、参会者の関心をよぼうとしましたが、拍手はお義理でした。
東友会代表はこのあと、「東京の木」の前で献水式をおこないました。
10日には、死没者調査員の山本英典さん(杉並/東友会執行理事)らが長崎市役所を訪ね、原爆被爆対策部の野瀬弘志部長と面会。昨年亡くなった東京の被爆者167人の名簿を手渡し、長崎市の名簿との照合を依頼して、しばし懇談しました。
東友会の「被爆二世実態調査」の結果報告書も、広島・長崎両市に贈呈しました。