アメリカ遊説報告 核保有国の草の根の人びとに訴えて
児玉昭太郎(港友会)
今夏も、米ワシントンDCにある「ヒロシマ・ナガサキ平和委員会」の招きで被爆者遊説がおこなわれ、埼玉の吉村和弘さん、神奈川の佐藤和生さんとともに、東京からは私・児玉昭太郎(港友会)が派遣されました。遊説活動は2006年8月3日から10日間の日程。途中から2班に分かれ、私と吉村さんはワシントン市とその周辺で、佐藤さんはニュージャージー州で被爆体験を語り、地元の反核平和運動と交流を深めました。
最初の活動は、地元のFMラジオ局WPFWのアンブローズ・レーンさんのトーク・ショーに3人で出演して証言。原爆の悲惨さを伝え、いまも続く後遺症の怖さを強調しました。
午後はスミソニアン博物館に展示されているエノラ・ゲイを見学。多くのマスコミから取材を受け、風下地区被曝者のデニス・ネルソンさんとともに、放射線被害の深刻さと戦争反対を強調しました。この様子は、日本のNHKテレビでも放映されました。
5日は、広島時間に合わせて午後7時15分に市の中心部にある公園で集会。私たちの証言の後、反戦・反核の言葉を記した灯ろうを池に浮かべました。
8日は、ホワイトハウス前で午後11時2分から長崎の追悼集会に参加。翌9日は米下院議員事務所内でケーブルテレビ局のパネルディスカッション「米国の核政策」にパネリストの一人として参加。米国民やマスコミを前に、核兵器廃絶を訴えました。かなり反響があったと聞きました。
このほか、教会の集会、子どものキャンプなどにも参加して、証言と交流をおこないました。とくにオールソウルス教会にある広島本川小学校の児童の絵は印象的でした。この教会は終戦直後、キノコ雲形のケーキでパーティーを開いた軍人を批判したのをきっかけに、戦後の広島市に学用品を贈るようになり、その返礼として小学生が絵や書を送ってきたもの。
原爆使用をいまだに謝罪せず、それどころか核兵器開発をすすめる米政府には言いたいことが山ほどありますが、米国民との草の根の交流は、とても大切だと痛感しました。