核兵器施設のある地域を重点にアメリカ遊説
被爆60周年の記念行事が2005年8月初旬米国各地でいっせいに展開されました。とくに核兵器開発に関係の深い施設があるいくつかの地域で反核・反戦行動がくり広げられ、これに連帯して4人の被爆者が訪米。被団協の呼びかけに応えて東友会からは上田紘治、小西悟、中西英治の3氏が参加。その報告を寄せてもらいました。
ロスアラモス・アルバカーキ (上田紘治)
ニューメキシコ州の高地、標高2000メートル前後にあるロスアラモス、アルバカーキ、サンタフェの3都市で活動しました。
「証言」はロスアラモスの集会、ニューメキシコ大学を含め4日間で6回。ラジオには8局の放送に登場。新聞報道はつかんでいるものだけで6紙で報道、1面トップの写真入りで大きく掲載したのは4紙です。
マンハッタン計画で原爆を製造したロスアラモス国立研究所の一日ツアーでは、感想を求められ胸が一杯になりました。
広大な自然のなかで、1万2000人が従事し核開発の研究・製造を進めるロスアラモス国立研究所。「草の根」を強く大きくし、「必ず核兵器廃絶を」と決意を新たにしました。
オークリッジ・アトランタ (中西英治)
テネシー州ノックスビル、オークリッジ、ジョージア州アトランタを訪ねました。ノックスビルでは、東友会から託された折り鶴を輪にする作業を、子どもたちが喜んで手伝ってくれました。
オークリッジのY12という施設は最初にウラン濃縮に成功したところ。その濃縮ウランが広島原爆に使われました。このY12の前では、朝暗いうちからセレモニーがおこなわれ、それからデモ行進。そして「この街で過去最大」という1000人の集会。
3歳のとき広島で被爆した自分が、広島原爆の濃縮ウランをつくった地に立って、「ノーモア・ヒロシマ」をアメリカの人びとといっしょに叫んだ。「生きていてよかった」といいたいような感激で、この瞬間を生涯忘れないでしょう。
テキサス・リバモア (小西悟)
ブッシュ大統領のお膝元テキサス州ダラスに到着するとすぐにラジオの電話インタビューの申し込み。ほぼ連日、朝から夜まで各種の集会やデモなど。新聞・テレビなどで詳しく報道されました。記者会見をふくめるとスピーチの回数は14から15回になったでしょうか。
「原爆投下は史上最大の犯罪」「被爆者は『報復』でなく、再び被爆者をつくるな、核兵器を緊急に廃絶せよと叫んできた」「ヒロシマ・ナガサキから学んで人類生存の英知を引き出して欲しい」と訴えました。
最終日の9日は、最初の水爆開発にかかわったリバモア研究所前での屋外集会とデモ。100人のうち半数が逮捕されました。私も危ういところでした。