原爆症認定集団訴訟 東京の原告4人亡くなる
2005年の夏、4人の集団訴訟原告が亡くなられました。
2004年、病院で裁判所の尋問を受けた小西アカネさんは6月26日に肝細胞ガンで死去されました。7回も肝臓の手術を受け入退院をくり返していた小西さんは、法廷の原告席に座ることができませんでした。
河合正江さんも7月27日に肝臓ガンで亡くなられました。4月の原告本人尋問で、りんとした声で国側の反対尋問に答えた姿が、傍聴者の感動を呼びました。
病状が重いために、弁護団が入院先での尋問の準備していた関口智恵子さんも、卵巣ガンで8月13日に。「裁判所は帽子をかぶっていて大丈夫ですか」と相談員に聞いた関口さん。原告席の関口さんは、制ガン剤のために頭髪が抜けた頭を帽子で隠していました。
8月17日、原告団長の加藤力男さんが7月30日に亡くなられたという連絡が小平・小友会から届きました。加藤さんは独り暮らしでした。弁護団と東友会で詳細を調べていますが、救急車で運ばれたことしかわかりません。
これまで東京原告団30人のうち7人が亡くなられています。