被爆60年めざし ノーモア被爆者東京のつどい
平和を歌い「心の傷」語る 人の心をかえる被爆の実相
被爆60年の2005年こそ、核兵器廃絶への確かな年にしようという願いを込めて開かれた2004年11月6日の「ノーモア 被爆者 東京のつどい」は、豊島区民センターいっぱいの300人の参加となり、成功しました。
つどいは、橋本のぶよさんの歌にはじまりました。東友会結成25周年に制作された「折鶴」など、美しい平和の歌声に、参加者は励まされました。
開会あいさつは藤平典会長、総合司会は山田玲子事務局次長でした。
映画監督・黒木和雄さんは「映画『父と暮せば』を制作して」と題して講演しました。米軍機の空襲をうけて友人を殺されたときの心の傷は、被爆者の多くが持つ心の傷と共通すると思ったこと。主演の女優・宮沢りえさんが、原爆被害の残酷さに打たれ、熱演をしてくれたエピソードは、被爆の実相を知ったときの人間の気持ちの変化が目に見えるような語りで、感動の拍手をよびました。
原爆症認定訴訟の勝利へ 証言とピースリーフでアピール
第2部の冒頭は証言。被爆証言は米田チヨノ副会長、被爆者の子としての証言は山田みどりさん、被爆者の孫の思いは小学4年生の壬生田直人くん、高校生の平和への思いは都立高校1年の野本龍さんが、それぞれ、反核・平和への思いを熱を込めて語りました。
平和への思いをつづったピースリーフ(平和の葉)を貼り付けた平和の木が壇上に掲示され、会場でピースリーフに書き込んだ参加者へのインタビューがありました。集団訴訟原告の大森克剛さんらが、原爆被害への償いを訴えました。
飯田マリ子副会長が、核兵器廃絶と原爆訴訟の勝利、原爆被害への国の償いを求める被爆者の決意をアピールし、閉会しました。
ピースリーフに書き込まれたメッセージから
- 日本の国を「戦前」にして子ども、孫たちに引き継いではならない。(T)
- ヒロシマで3歳でした。体じゅう灰をかぶって泣いていました。なによりも子どもたちに平和を。(N)
- 4分の3が戦争を知らない日本人。被爆者の証言がいまのうちにますます必要と思う。(T)
- 平和の灯と子どもの笑顔はたやさない。(N)
- 原爆が過去の出来事ではなく、現在進行形であるという認識をしかと心にとめようと思います。(S)