被爆者相談所および法人事務所
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「核を戦争の口実にするな」 被爆者の訴え国連に

NPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会へ
東友会事務局次長 山田玲子

 2005年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた第3回準備委員会が2004年4月26日から5月7日まで国連で開かれました。
 私は、国連NGO(非政府組織)のメンバーである日本被団協代表団(小西悟団長)の一員として、東友会から派遣されて参加。4月24日、段ボール箱4個分の資料と「原爆と人間展」パネルを携え、成田からニューヨークへと向かいました。
 25日は、翌日からの会議に備えて配布資料を整理。会議初日の26日には、国連本部で早々に登録をすませ、被爆者のブースに資料を並べて配布。畳1枚分の広さでしたが、会場入り口正面の最高の場所でした。
 同日午後からは、日本被団協とWILPF(平和と自由ための国際女性連盟)の共催で「被爆証言・被爆者は語る」の会が開かれ、阿部信泰国連事務次長も出席し、「被爆者の体験を語り継ぐことが大切」と挨拶。続いて小西、谷口稜曄、山田が被爆証言をし、会場からは「2005年は国連で原爆展を」の声も上がりました。
 27日はNPT準備委員会を傍聴。午後にはNGOの提案・発言があり、伊藤一長・長崎市長と秋葉忠利・広島市長が登壇して発言しました(下記)。会場にいた私たちは、被爆者であることを紹介され、立ち上がって拍手を受けました。
 28日は、日本政府代表部とニューヨーク市庁舎へ訪問。そのあと9・11テロの遺族たちと「憎悪と報復の連鎖を断ち切ろう」と交流しました。29、30日は、メキシコ、マレーシア、英国、米国の代表部を訪問。各自が証言し、「一刻も早く核兵器廃絶を」と要請しました。
 5月1日、「これ以上、核を戦争の口実にするな」の大集会では小西団長が「被爆者は復讐ではなく核兵器廃絶を望んでいる」と発言すると、会場に大きな拍手がわきました。
 「被爆者の証言は核兵器をなくす唯一の証言である」――国際反核医師の会会長の準備委員会での言葉です。
 いま、被爆者は全力を出してその期待に応えなければと感じました。

国連の議場。壇上に机が並べられている。
NPT準備会が開かれた国連の議場で傍聴
机の席に座り、マイクを使って話す山田さん。その他にも座っている人たちがいる。
パネルをかかげ被爆証言

「2020年までに核廃絶を」 広島・長崎両市長が訴え

 核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会に出席した秋葉忠利・広島市長と、伊藤一長・長崎市長は、NGOセッションで被爆都市の首長の立場から発言しました。
 秋葉市長は、被爆遺品の模型を持って登壇。「被爆者にはもう時間がない。核のない時代のために国連が一歩を踏み出す姿を、被爆者たちに示してほしい」と、すべての核兵器を2020年までに全廃する必要性を強調し、「時間的枠組み」を明確に設定して各国政府が交渉を開始するよう訴えました。
 伊藤市長は、爆心地から10キロ以上離れた場所にいた人でも、心的外傷後ストレス障害(PTSD)となり、健康を害していることを指摘。「被爆から59年たっても決して消し去ることのできない核兵器の悲惨な実態を、各国の皆さんに理解してほしい」と、核兵器被害が非常に深刻なものであることを訴えました。