東原爆裁判が完全勝訴 原爆被害の「凄惨」さ「苛酷」さが判決に
放射線がC型肝炎を促進 東京地裁「残留放射能」も認める
東数男さんにかかわる原爆裁判で、東京地方裁判所は2004年3月31日、東さん全面勝訴の判決を言い渡しました。判決当日、法廷内外に150人がつめかけ、勝利を祝いました。判決について弁護団の池田眞規団長は、「点数を付ければ95点」と、高く評価していました。
東京・町田市に住む長崎原爆の被爆者東さん(75歳)が、肝機能障害(C型肝炎)で原爆症認定を求めた申請を、厚生労働省が却下。この裁判は、その取り消しを求めて、1999年6月からつづいてきた裁判です。
判決は、原爆被害について、「他に例を見ない凄惨なもので、多くの被爆者は莫大な量の放射線を全身に被曝したことに加え、残留放射能に被曝し、後障害の不安を抱き続け」ていると、原爆被害の「特異かつ苛酷」な特徴をのべています。また、放射線についての「科学的知見や経験則は、いまだ限られたものにとどまっている」とし、「現時点」で「全体的、総合的に判断」すれば、「多大な放射線被曝がウィルス感染とともに慢性肝炎を発症、進行させる起因となっている」と判断しています。
東数男さんの談話 「身体ボロボロ、控訴しないで」
東原爆裁判判決の日の3月31日、東数男さんは朝子夫人の押す車いすで出廷、判決後次のように語りました。「勝てて当然です。だけど、申請から判決までの10年は長かった。この間に肺ガンになり、私の身体はもうボロボロです。坂口厚生労働大臣は絶対に控訴しないでください。」
厚生労働省が控訴をした4月12日夕、電話での連絡を受けて、東さんは次のように語りました。「残念です。坂口大臣は(控訴)しないと思っていたんですが、期待が裏切られました。身体がついて行かないし、いつまで生きていられるか分からない。一日も早く決着つけてほしい。
「国は控訴するな」 厚労省前で連日行動
東判決に控訴をさせない行動は、3月31日から4月13日までおこなわれ、4月1日は衆参両院厚生労働委員へ要請しました。
2日から13日までの平日はピースバードの青年が企画してランチタイム・アクションを続行。昼休みの2時間、被爆三世の磯部元樹さんを中心に青年の企画で厚労省前での行動が続けられました。配付されたチラシを見て参加した北区の野中晴さんは、被爆者や青年、弁護士の姿に感動して連日参加。認定申請中の被爆者もガンの身体をおして弁護士とともに「控訴するな」のプラカードを持ったりチラシを配付して要請しました。
9日には衆院議員会館前と有楽町マリオンで座り込み。12日の集団訴訟口頭弁論の日と控訴の翌日の13日も要請・抗議行動が続けられました。
「控訴するな」行動 参加1,000人、配布ビラ15,000枚
東原爆裁判を控訴させない運動への参加者は、のべ1000人を超えました。うち6割は被爆者、弁護士ものべ130人になりました。配付したチラシは5種15,000枚、「焼き場の少年」の控訴するなの絵ハガキ5000枚以上を配付しました。
ピースバードの青年が企画した厚労省前のランチタイム・アクションは4月2日から14日までの8日間つづけられ、参加者の合計数は350人、青年たちの参加は60人になりました。
国が不当にも控訴
「東判決に控訴するな」の声をよそに、厚生労働省は、4月12日、控訴を強行しました。
控訴理由は、「肝機能障害と放射線との因果関係の判断に誤りがある」というものでした。
1審で国側が主張したのは、「肝機能障害を起こすのには、1000ラドの被曝線量が必要」ということだけでした。長崎原爆の致死量は800ラドです。国側は2審でも、この暴論を蒸し返すのでしょうか。