被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 東京訴訟 「原因確率は空論」と弁護団が批判

 集団訴訟の第4回口頭弁論は、2004年1月28日、東京地裁103号法廷で開かれました。原告は9人が出廷。弁護団が15人、一般傍聴席は90人が詰めかけました。
 冒頭に、大森克剛さんが、ガンを宣告されてからの家族の不安と苦悩と努力を涙をこらえて証言。深い感動をよびました。
 弁護団からは、原告の森川靖夫さんが、原爆症認定を却下されたのに、異議を申し立てたら2003年12月に認定になったので、提訴を取り下げる旨の申し立てがありました。弁護団はこのなかで、審査がいかにずさんであるかを示すものだと指摘しました。
 弁護団はこの日、56ページにおよぶ原告第2準備書面を提出し、竹内、内藤、坂田、中川の4弁護士が、厚生労働省の原因確率を中心にした審査の誤りをつき、「原因確率は現実を説明できない空論」だと批判しました。
 この日にはまた、6氏による新たな追加提訴がありました。

厚生労働省前の歩道で、たすきを掛け、横断幕を広げる被爆者・支援者ら。
裁判の前に厚生労働省正面でアピールする被爆者と支援者たち

大森克剛さんが証言

 大森克剛さんの証言要旨は次の通りです。

1 県立広島工業学校本科機械科2年生のとき、東洋紡績工場に動員された。8月6日は、電休日だったので、江田島の祖母宅に行き、直接被爆を逃れた。
 翌朝、広島市へ入った。工場は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。同僚10数人で同僚・恩師の安否をたずねた。
 瓦礫の地面からは熱が跳ね返り、死者を焼く黒煙が空一面を覆い、真夏の暑さは鼻腔や口の中をからからにした。水道管の熱い水をのんだが、八丁堀でダウン。同僚たちも解散した。

2 江田島の自宅では毎日激しい下痢に悩まされた。歯茎から出血し、40代前半に歯の殆どを抜いた。

3 1993年に両手の指10本すべてがいびつに曲がり、仕事のピアノ演奏が不可能となった。国民年金で生活した。1999年に直腸ガンが発見された。人工肛門をつけての療養生活は妻にとって想像以上の過酷と苦痛をともなっていた。2000年9月には、胃ガンが見つかった。直腸ガンの転移ではなく、新しいガンだった。胃の半分を切除した。

4 日本政府の決めた法律を忠実に守ってきたのに、原子爆弾を受け、悪魔の恐怖にさいなまれている。被爆者に対して、日本政府は責任をとるべきだ。