核兵器も戦争もない世界にしよう 2026年平和行進が出発 被爆者を先頭に
全国をリレーし8月の被爆地へ向かう行進 出発集会には600人
2026年5月6日、核兵器廃絶と被爆者援護、核兵器禁止条約への日本の参加を訴え、全国から被爆地広島・長崎をめざして歩く「2026年原水爆禁止国民平和大行進」が、江東区夢の島を出発しました。
出発集会には600人が参加し、被爆者を先頭に、広島に向かって元気よく歩き始めました。この行進は、広島市平和公園を目的地に、3カ月かけて全国をリレーでつながれていきます。
出発集会で開会あいさつした原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表の高草木博さんは、NPT(核不拡散条約)再検討会議にふれ「戦争の時代を終わらせようと核大国の国民も叫んでいる」と指摘。「共同を広げ、協力し、非核三原則を守り、禁止条約に参加する日本を実現しよう」と呼びかけました。
連帯あいさつをした東友会の代表理事で日本被団協代表理事でもある家島昌志さんは、被爆者を代表して、「日本政府を、世界政治を核兵器廃絶に向けて動かすように頑張ろう」と訴えました。
その後、東友会から参加した被爆者25人が口々に、核戦争を体験した者として、核兵器廃絶と平和を求める願いを語り、「おりづるの子」(東京被爆二世・三世の会)の青木克彦会長も挨拶しました。
銀座でアピール行進
集会を締めくくったあと、隊列を整えた平和行進は夢の島を出発。夢の島大橋、門前仲町、永代橋、東京駅付近を次つぎに歩き、沿道の人びとと手を振りあいました。
有楽町駅付近に到着すると、恒例の「被爆者アピール行進」が始まりました。行進の先頭は、青いタスキをかけた東京の被爆者12人。数寄屋橋交差点から新橋駅付近の解散地点まで、東友会の原爆犠牲者慰霊碑の碑文「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」が染め抜かれた旗を薫風になびかせ、横断幕を持って通行人に手を振りながら、元気に行進しました。
平和行進の始まりは?
平和行進の始まりは、1958年6月20日、1人の青年が被爆地・広島の平和公園から、原水爆禁止世界大会が開催される東京に向けて歩き出したことがきっかけでした。東友会が結成される5カ月前のことです。歩みを進めるごとに参加する人が増え、東京に到着するころには、のべ100万人が参加する大行進となりました。
この行進は、平和と核兵器廃絶を願う国民世論を広げ、当時アメリカが狙った日本への核ミサイルの配備を撤回させ、憲法9条を無視しようとする危険な流れを止める大きな力になりました。
その後、行進のコースなどを拡張しながら全国で取り組まれるようになり、68年間たゆまず続けられています。(2026年時点)
行進参加者と被爆者が交流 平和行進2日目 神奈川県に引き継ぎ
5月7日、2日目の平和行進は港区立芝公園を出発。大友会(大田区の被爆者の会)から四辻美智子さんが参加しました。
品川区を経て大田区に入り、大田区産業プラザでは各団体の方がたが出迎えてその場でミニ集会が開かれ、約80人が参加しました。これは今回初の試みです。
ミニ集会では、大友会の被爆者2人(四辻美智子さんと、この項の書き手である片田靖子)が、それぞれの被爆体験や核兵器廃絶への願いを訴え、そのあと通し行進者が紹介されました。これまでは、大田区に入ってきた行進の隊列に大急ぎで駆け込んでいたのですが、集会のおかげで参加者の方がたとお話しする機会が持ててよかったです。
その後、終着地である多摩川六郷土手公園めざし、道行く人たちの応援に励まされながら、元気に歩きました。
六郷土手公園では神奈川県のみなさんが拍手で迎えてくださり、無事に行進を引き継ぐことができました。東京から神奈川に転居した被爆者の和田征子さんや出田卓さんと会えて、うれしかったです。
東京の2日間、多くの人たちに支えていただき、ありがとうございました。(片田靖子)