被爆79年目の広島・長崎 炎天下の被爆地で役割はたして
被爆79年目の平和祈念式典が広島・長崎両市の平和公園で開催されました。東友会は、2024年に参列する代表を広島・長崎両市に3人ずつ予定していましたが、長崎遺族代表の体調不良があり、8月5日と6日に広島市へ遺族代表として木村一茂さん(青梅)、死没者調査員として松田隆夫さん(武蔵野)と的早克真事務局次長を、長崎市へは8日と9日、死没者調査員として八木初音さん(江東)と村田未知子事務局長を派遣しました。
広島では
8月4日、まず全国の被爆者団体が植樹した鶴見橋西詰の「被爆者の森」にある東京の木・イチョウの生育を確認。5日、サッカーミュージアムの工事が完了した広島市中央公園の「東京の木」ケヤキの前に東友会と地区の会の代表が集まりました。ここでは被爆40年を期して植樹した当時の被爆者の願いが紹介され、参加者全員が献水しました。その後、代表は広島市国際会議場内の出張所を訪ね、東京で亡くなった194人の原爆死没者と広島市の名簿の照合を依頼しました。
6日、代表は地区の会の派遣者とともに、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参列しようとしましたが、荷物検査だけで1時間以上もかかったため体調が不安になり、屋内施設での式典の放映を視聴しました。式典では松井一實市長が「平和宣言」で「核抑止論から政策転換を」と呼びかけ、子ども代表の「平和への誓い」では「平和をつくっていくのは私たちです」と訴えました。
式典後に代表は、「原爆の子の像」の隣に植樹されている葛飾の木・クスノキへの献水式に参加。原爆供養塔の参道に半世紀前に植樹した8本のイチョウを確認し、慰霊碑に献花しました。
広島での行動には、5日午前中に原水禁世界大会分科会で証言を依頼された村田未知子事務局長も全コースに同行しました。
長崎では
8日、代表が長崎市役所を訪ね、原爆被爆者対策部を訪問。阿波村功一部長と面談。中西敏雄執行理事も同行して、153人の原爆死没者と長崎市の死没者名簿の照合を依頼しました。
9日、式典への入場券を持っていないと公園内に立ち入ることができないことが直前に判明。このため、地区の会代表に入場券を譲った村田事務局長が「東京の木」クロガネモチへの献水式に参加できず、中西敏雄執行理事と細谷正幸理事が献水をおこないました。
その後、入場券を手に入れた村田事務局長とともに代表は「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列し、平和祈念像に献花しました。