平和行進が東京を出発 3年ぶりに沿道を歩いてアピール
核兵器使うな、ロシアはウクライナから手を引け 武力ではなく人びとの連帯で平和を築こう
「原水爆禁止国民平和大行進」が2022年5月6日、第五福竜丸展示館のある江東区・夢の島公園から広島に向けて出発しました。この行進は、沿道の各県に引き継がれて、8月4日に広島市平和公園に到着する予定です。
出発集会には、都内の平和・市民団体や労働組合の人びと300人、江東区の94歳の被爆者2人と中野区、練馬区、葛飾区の被爆者8人が参加しました。東友会の家島昌志代表理事は、戦術核兵器の使用も辞さないというロシアの姿勢に被爆者として強く抗議するとともに、日本政府と世界の人びとが核兵器廃絶に向けて動くよう訴え続けたいと挨拶。90歳を迎えた日本被団協の田中煕巳代表委員も核兵器廃絶を訴え、「(自分は高齢のため)いつ死ぬかわからない。この行進にはぜひ参加したかった」と述べました。
出発した平和行進は、公園出口から明治通りを歩き、日比谷公園をめざして元気に進みました。沿道から見送る地元の被爆者は、東友会のタスキを振って行進者を激励しました。
銀座でアピール行進
有楽町駅周辺からは、被爆者が合流して「銀座アピール行進」に。「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」と染め抜かれた東友会の旗を、腕を高く上げて支える男性被爆者を先頭に、港区、世田谷区、中野区、豊島区、練馬区、足立区、葛飾区、町田市、稲城市から参加した18人の被爆者が東友会のタスキをかけて続きました。
「行進の先頭を青いタスキを掛けた原爆被爆者のみなさんが歩いています」「広島・長崎の被害をくり返してはならない、ウクライナに平和をと願って行進しています」などの宣伝カーのアナウンスに励まされながら元気に行進しました。
参加者は、「感染防止で声を出せない行進だったが、やっぱり集まらないと元気がでない」、「有楽町駅前で手を合わせるようにして頭を下げていた女性と目が合った。とっても励まされた」などと話していました。
2日目も被爆者が先頭に立って 港、品川、大田を通り神奈川へ
翌7日の平和行進は、港区から品川区、大田区を歩き、六郷土手まで行進。午後には神奈川県の人びとに引き継がれました。
この日の午前、東京タワーを間近に望む芝公園で出発集会が開かれ、港区の被爆者3人が参加。愛宕、三田、高輪を経て品川駅まで、行進の先頭を歩きました。その後、平和行進は大田区に到着。京浜蒲田駅から六郷土手までを大田区の被爆者4人が、東友会の青いタスキをかけて行進の先頭を歩き通し、無事に神奈川の被爆者にバトンを渡しました。
後日、7日の行進に参加した東京原水協の人から、「被爆者のみなさんが行進に参加してくださり、とても励まされた。お礼をいいたくて」と東友会に電話がありました。
平和行進とは
1958年に一人の青年が原水爆禁止を訴えて広島から東京に向けて歩き出したのが平和行進の始まりです。当時、日を経るごとにいっしょに歩く人が増え、東京到着時には数万人規模になり、のべ参加者は100万人にもなったといわれています。
以来、毎年平和行進がおこなわれるようになり、いまでは東京から広島に向かうメインコースのほか、全国各地のコースも増えました。日本全国を歩くことで核廃絶と平和を訴え続けています。