ノーモア・ヒバクシャ東京2次訴訟が結審
原告・山本さんが意見陳述 「原爆被害は狭く軽いという国の主張が許せない」
ノーモア・ヒバクシャ東京第2次訴訟の東京高裁での審理が、2018年8月1日に結審を迎えました。2003年5月から東友会が進めてきた原爆症認定集団訴訟の最後の高裁での審理ともなりました。
残された原告は、山本英典東友会業務執行理事一人。この間、ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟は、2012年3月の集団提訴から6年半がすぎ、32人の原告のうち山本さん以外は全員が東京地裁・高裁での勝訴判決と厚生労働省の自庁取消によって、原爆症と認定されてきました。結審の最終弁論は、満席の傍聴者の支えを受けて、東京弁護団の内藤雅義団長と原告の山本さんが意見陳述をおこないました。
内藤弁護士は、占領下の被爆者の苦しみから、核兵器の非人道性を明らかにさせ、原爆被害への国の償いと核兵器廃絶を求め続けてきたこと、国の基準を大きく広げてきた原爆症認定訴訟の成果、低線量被曝と晩発性被害の特徴にもふれて、日本被団協が提起している「当面の要求」実現への道を開く判決をと力強く訴えました。
原告の山本さんは、今回の訴訟の間に脊椎を骨折して不自由になった身体をおして出廷。2003年5月に提訴した原爆症認定集団訴訟とノーモア・ヒバクシャ訴訟にも参加して15年間原告としてたたかってきた年月を振り返りながら「私がこんなに長く裁判に関わってきたのは、原爆被害は狭い範囲の軽くて長続きしない被害だという国の主張が許せないからです」と陳述をはじめ、核兵器廃絶へ被爆者の願いとともに、原爆症認定制度の基準を広げてきた裁判所の判断に感謝を述べました。
法廷の傍聴後、弁護団と傍聴者60人が衆議院議員会館の会議室に移動して報告集会に参加。この集会では立憲民主党の初鹿明博衆議院議員が「『当面の要求』を実現させるために野党の共同をすすめたい」と挨拶。傍聴した被爆者、東京原水協の人びとからは、歩行器を使って参加した山本さんをねぎらう発言とともに、「裁判にこれだけ負けているのに国が5年近くも基準を変えないのはおかしい」「原爆症認定訴訟の勝利を通じて核兵器の被害を知らせよう」などの訴えが続きました。
閉会の挨拶にたった東友会の大岩孝平代表理事は、「11月28日の東京高裁判決で最後の原告・山本さんの勝訴を勝ち取り、東京のノーモア・ヒバクシャ訴訟をパーフェクトで閉め、原爆症認定制度の抜本改定を勝ち取ろう」と参加者を激励しました。