被爆66年目の広島・長崎 東友会代表が猛暑のなか奮闘
平和式典、献水式、死没者名簿の照合など
2011年も東友会は広島・長崎に代表を派遣し、8月6日と9日の平和式典に参列。両市の公園内に植樹している「東京の木」への献水式をおこないました。
広島へは遺族代表として畑谷由江さん(江戸川)、死没者調査員として家島昌志事務局次長(中野)と的早克眞事務局員が派遣され、5日午後、地区の会から参加した代表とともに、広島市中央公園に植樹したケヤキへの献水をおこないました。
その後、東友会が東京都から委託を受けている原爆死没者名簿の照合のため平和記念資料館を訪ね、2010年度に東京都と東友会が掌握した224人分の死没者名簿を手渡して広島市の名簿との照合を依頼しました。
6日の広島の式典には海外からは2010年に次ぐ過去2番目に多い66カ国と欧州連合(EU)が参加。松井一實市長は被爆者の証言も引用した「平和宣言」のなかで、被爆体験の継承と核兵器廃絶への取り組み強化とともに、福島第一原発事故にもふれ、早急なエネルギー政策の見直しを求めました。
66年目に初めてアメリカ政府代表が参加した9日の長崎の式典には、東友会から遺族代表として野々口嘉人さん(世田谷)、死没者調査員として飯田マリ子会長(北)、村田未知子事務局主任が参列。式典の前にスコールのような雨にずぶ濡れになりながら、地区の会代表とともに長崎市平和公園に植樹したクロガネモチに献水しました。
式典では、田上富久市長が平和宣言で「『ノーモアヒバクシャ』を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか」「人間の制御力を過信していなかったのか」と指摘。脱原発をめざす考えとともに核兵器廃絶とアジアを非核兵器地帯とする構想を訴えました。
翌10日、代表は長崎市原爆被爆対策部を訪ね135人の原爆死没者名簿の照合を依頼。黒川智夫部長などと被爆者と直に接している長崎市と東京都の職員の奮闘ぶりも紹介しあい、なごやかな懇談になりました。
被団協結成55周年行事も
9日午後、長崎市で日本被団協結成55周年記念祝賀会が開かれ、76人が参加しました。会場には、長崎市原爆被爆対策部の黒川部長をはじめ長崎被災協と協力し合っている長崎の被爆者団体の代表、日本生協連、日本青年団や海外の反核活動家も参加。
田中煕巳日本被団協事務局長が作成した55年間の活動のスライドが紹介され、半世紀を超えた被爆者の運動を讃え合いました。