慰霊祭と追悼のつどい 寄せられた「折り鶴」を献呈
いのちへの償いを求めつづける東友会の慰霊事業
東友会の2011年度第47回原爆犠牲者慰霊祭と追悼のつどいが7月31日、四谷の主婦会館プラザエフで挙行され、被爆者と遺族、都民など250人が参列しました。
式典は、開式のことばのあと、被爆二世のピアノ演奏を録音した「原爆を許すまじ」と死没者のお名前が詠み上げられるなかを、参列者一人ひとりが折り鶴を献呈。飯田マリ子会長の「追悼のことば」につづいて、都知事のメッセージを前田秀雄福祉保健局保健政策部長が代読。和田宗春都議会議長のあいさつのあと、広島・長崎市長のメッセージが両市の東京事務所長から代読されました。
2011年の参列者代表として、知識人や文化人が参加する東京非核政府の会の三栖義隆事務局長が、核兵器廃絶運動をすすめる決意を力強くのべたあと、都議会を構成する政党代表があいさつしました。
遺族代表として、2月に逝去した藤平典副会長の長女・北原暁子さんが「父が遺したことば」を紹介。教師の仕事とともに被爆者を代表して運動をつづけた父の遺志をついでいきたいと発言。参列者の感動を呼びました。
式典企画は「『いのち』への償いもとめて――東友会47年間の原爆死没者慰霊事業」と題したスライド上映。1965年の慰霊の木碑建立、67年の慰霊碑(石碑)から2010年の慰霊祭までを紹介したスライドとナレーションは「いつも死者を想って運動を続けてきたのですね」「東友会の歴史がわかった」と好評でした。
東友会は2011年の慰霊祭の案内状に紫と白の和紙を同封して、折り鶴の献呈をよびかけました。遺族から「足が悪くて参列できません。折り紙を仏壇に供えてから折りました」、各区や市からも「参列できないので折りました」などのメッセージが添えられて届いたものもあり、式典では2000羽の鶴が献呈されました。これらの折り鶴は被爆者の手で千羽鶴につながれ広島・長崎の式典に届けられました。