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【緊急特集】福島第一原発事故 被爆者はどう考え、どう対応するか

 福島原発の放射能漏れが被爆者にもたいへんな不安を呼び起こしています。広島・長崎で浴びた放射線被害と今度の放射線被害がどう違うかを、Iさんに調べてもらいました。

Q Iさんは爆心地付近で被爆なさったそうですね。
A 福島原発の報道をみて、私自身が受けた放射能がどれぐらいだったのか気になりました。私は長崎市の爆心地から200メートルしか離れていない駒場町で被爆し、防空壕の中にいて助かりました。生き残ったのは奇跡です。防空壕を出て、つぶれてしまった私の家のそばで一晩を過ごし、翌朝そこを出て田舎の親戚のところへ行きました。

Q たいへんな体験をなさいましたね。自分が受けた放射線量はどうだったのですか。
A 爆発の瞬間から30分以降の残留放射能がどれぐらいだったかを、原子物理学者の庄野直美さんが発表されている「短期間残留したガンマ線の線量」の表によって計算してみました。9日午前11時半から10日午前8時まで2950ミリシーベルトという結果です。被曝線量は2000ミリシーベルトを超えると出血や脱毛が起こり、5%の人が死亡、4000ミリシーベルトで半数の人が死亡するといわれています。

Q 私は広島被爆ですが、髪の毛が全部抜け、私の姉は9月末に原子病で死にました。長崎、広島の被爆者はみんなやはりそんな放射能を浴びているのですね?
A 爆発の直後の瞬間放射能は非常に大きく、半致死量の4000ミリシーベルトの放射線が降り注いだ地域は、広島で爆心地から半径1025メートル、長崎で1200メートルでした。
 爆心地から3キロメートル以内で被爆した人はコンクリートなどで完全に遮蔽されていない限り、50ミリシーベルト以上の放射線を受けています。50ミリシーベルトは職業として放射線業務をする人が1年間にさらされていいとされる限度で、日本原子力委員会の指針ではこの量で一般人を「避難」させるとしています。

Q 今回福島原発3号炉で作業員3人が被曝して入院しましたが、あの被曝は広島・長崎の被爆と同じと考えていいのですか?
A 建屋に短い靴で入って足に被曝し、放医研(放射線医学総合研究所)に入院して、健康への影響はないと退院しましたね。浴びた放射線量は最初2から6シーベルトと報じられ、退院のときは3シーベルト以下だろうとのことでした。かなり大きな線量ですが、体のごく一部分でしかも短時間だったので健康への被害がなかったのです。
 原爆は爆発の瞬間の熱と爆風を考えないわけにはいかないので、福島原発の被曝と同じかと聞かれても返答に困りますが、放射線は原爆でもX線やCTスキャンでも同じです。短時間の放射線の影響については医療の放射線分野での突発的事故による大量被曝の不幸な事例の知識があり、7シーベルトを全身に受ければほとんど死亡しますが、手足の一部分だと紅斑が出る程度だとわかっています。

Q 体外と体内に取り込まれた場合で放射性物質の影響は違うのですね。
A そうです。内部被曝と外部被曝という言葉を使います。透過性の高いガンマ線や中性子線の場合、7シーベルトを全身に受ければほとんど死を免れ得ないのですが、アルファ線やベータ線は透過力が小さいので体外からの照射の障害は皮膚だけにとどまるのです。しかし、いったん体の中に入った放射性物質は体内のいろんなところに沈着して放射線を出し、アルファ線やベータ線を出す物質はとくに大きな問題になります。体内へは汚染された食物・水の摂取、放射性の粉塵・ガスの吸入、または皮膚から取り込まれます。どこに沈着するかは放射性物質によって異なり、ヨウ素は甲状腺に、セシウムは全身の筋肉に、ストロンチウムは骨や歯に沈着します。

Q 福島原発から出た放射能はどれくらいの量なのですか。
A 3万から11万テラベクレルと報道されています。チェルノブイリが200万テラベクレルで、これに次ぐものです。避難指示や出荷制限はやむを得なかったでしょう。

Q テレビや新聞でもシーベルトとベクレルという言葉をよく見聞きしましたが、少し説明してください。
A ベクレルは放射線の量を表す単位で、原子核が崩壊して放射線を1秒間に1つ放つと1ベクレルです。この単位は非常に小さいので、多くはキロ、メガ、ギガ、テラなどをつけて使われます。
 人体が放射線を受けた場合は受けた放射線がアルファ線、ガンマ線などで影響が違いますので、その違いを計算してシーベルトを算出しています。1シーベルトはかなり大きな単位で、ミリやマイクロをつけて使われます。
 国際放射線防護委員会は体内に取り込まれた放射性物質が1ミリシーベルトの影響を与える量を計算していますが、セシウムで7万7000ベクレル、ヨウ素が4万5000ベクレルなどと発表されています。

Q 広島・長崎の汚染はミリシーベルト単位で、今発表されている大気中放射線量はマイクロシーベルトです。農作物などの出荷制限を厳しくしなければいけないのですか。
A いいえ、避難指示は原子力委員会による指標があり、50ミリシーベルト以上と予想されれば乳幼児・妊婦は「避難」、成人は「屋内退避」、10から50ミリシーベルトで乳幼児・妊婦は「屋内退避」とあります。
 それに基づいて20キロメートル以内は「避難」、20から30キロメートルは「屋内退避」と指示されました。30キロメートル以上の浪江町や飯館村は、1年間積算すれば危険線量を超えますので、過剰な警戒とはいえないでしょう。
 水や食物については被曝線量を制限する国際放射線防護委員会の勧告を参考に原子力安全委員会で検討され、放射線障害防止法に基づく法令が出されています。
 ヨウ素では水・牛乳は1キロ当たり300ベクレル、野菜類は2000ベクレルまで、セシウムでは水・牛乳は200ベクレル、野菜・穀類・肉・魚は500ベクレルまでと定めています。
 放射線の危険度は広島・長崎の被爆者のデータをもとに推定されていて、1ミリシーベルトを全身被曝した場合の死亡確率が10万分の5とされ、これを越えると危険だとして食の安全性の基準が考えられています。10万分の5という死亡確率は車で5000キロメートル走行したときと同じ、タバコ50本喫煙と同じです。

Q 広島・長崎の原爆症認定の基準では直爆で3.5キロメートル、入市で2キロメートルですが、福島の避難は20から30キロメートルです。この距離の差はどうしてですか。
A 福島の3万から11万テラベクレルとチェルノブイリを比較換算すると、福島の放射線量は原爆数十発分になるようです。となると20キロメートル、30キロメートルの避難地域に相当するのではないでしょうか。

Q 東日本大震災に加え、原発事故の被害を受けた人たちに、どのような支援ができるでしょうか?
A 私たち被爆者は、地獄のような体験をし、戦後も不安を抱えてきました。けれども「ふたたび被爆者をつくるな」と立ち上がり、多くの国民の支援を受けながら今日まで歩んでくることができました。
 報道を見ると、福島の避難者にいわれのない差別があったとか、風評被害で周辺地域の経済が打撃を受けているという話も聞こえてきます。
被爆者も就職や結婚、様々な場面で差別されたことがありましたから、他人ごとのように思えません。
 原爆被害は、軍事機密で長らく隠蔽され、国民はもとより被爆者自身が自分の被害の実態を知ることができませんでした。救援や復興で入市した人の多くが被爆地の水や食べ物を摂りました。いま思えばすすんで内部被曝をしたことになります。
 被爆者は「ふたたび被爆者をつくるな」の願いが、この事故で破られることだけは避けたいと思います。難問山積ですが、早く避難の解除と水、野菜、魚の安全が宣言されることを祈ります。
 東電や政府は、危険を隠したり、形式的な公表ではなく、真実を公開して誠意ある対策を提示し、国民の協力を仰いでほしいと願います。
 被爆者は高齢化し現場に行っての支援はできませんが、被災地のみなさん、避難者のみなさんに心から連帯と支援を送りたいと思います。

震災被災地、川原はがれきの山、津波で運ばれたトラックや乗用車が置き去りに。
津波の爪跡が残る東北の被災地
道路から見る被災地、建物のほとんどが破壊されてしまった場所。
なぎ倒された家屋が累々と

「『福島第一原子力発電所の事故 被爆者はどう考え、どう対応するか』
ご質問・お問い合わせに対する回答」を掲載しました

 「東友」5月号(319号)にて、この記事掲載後に寄せられたご質問・お問い合わせに対する回答を掲載しました。合わせてお読みください。