被爆者相談所および法人事務所
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新春鼎談 支え合い、団結して、みんなで被爆者運動を前進させる年に

被爆の実相を後世に伝え、核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償の実現へ

 2008年は東友会結成50周年。記念式典や記念誌発行などの記念事業を実施し、2009年は都庁で原爆展も開かれます。半世紀という大きな区切りを踏まえ、50年目以降の東友会の活動を展望して、飯田マリ子会長、山本英典副会長、三宅信雄事務局長の3人に語り合っていただきました。(要約・文責:編集部)

飯田マリ子
東友会会長。
長崎被爆。北区在住。
山本英典
東友会副会長。
長崎被爆。三鷹市在住。
三宅信雄
東友会事務局長。
広島被爆。世田谷区在住。

「被爆の実相」の風化・忘却とのたたかいへ 51年目からの東友会の運動は…

山本 新年おめでとうございます。いよいよ来月、東友会結成50周年事業をしめくくる「伝えようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」が東京都庁ではじまります。担当者として、まず三宅さんから内容を紹介してもらいましょう。

三宅 2009年2月5日から9日の5日間、都庁第1本庁舎南展望室での開催が正式に認められました。東京都と広島・長崎両市、東京新聞の後援もとりつけました。広島 と長崎の資料館から被爆した現物資料も借りて展示します。
 国民の8割が戦争を知らない世代になるなかで、不特定多数の人に原爆被害の実相を知ってもらえるチャンスになると思います。都庁展望室は、外国人が多く訪れると聞いています。そのため英語の説明文も準備します。

飯田 2月は一番空気が綺麗な時期で、眺望も見頃です。たくさんの方に来ていただいて、私たち被爆者の核兵器廃絶への願いを共有してほしいですね。

三宅 この原爆展で、核兵器の真の被害を知らせ、決して戦争をしない、戦争行為に参加しない日本であってほしいという願いと、戦争は昔話ではないということを、多くの人びとに知らせていくことは、結成50周年事業の締めとしてふさわしいと思います。

飯田 50周年記念誌『座談会でつづる東友会の50年』は、2008年2月からおこなった3回の座談会をまとめたものです。初刷1000冊はたちまち普及。2008年末に600冊増刷しました。記念誌の責任者だった山本さん、大奮闘でしたね。

山本 座談会の形をとることで、「支え合い励まし合ってきた東友会の運動が多角的に理解できた」「写真が多く、語り口でつづられているので読みやすい」という声をいただいています。

三宅 50周年事業のために、2008年4月と8月の「東友」で寄付をよびかけたら、2200人もの被爆者と支援の方がた、団体から838万円余の募金が寄せられました。目標の500万円を大幅に上回りました。こころから感謝しています。

山本 記念式典で樺山たけし都議会議長代理から、「東友会の50周年おめでとうではない。原爆被害の実相に対する風化と忘却とのたたかいの始まりです」とのごあいさつをいただきました。この言葉は、私たちと思いを同じくするものでした。

飯田 式典と祝賀会には200人もの方がたが参加してくださり、感動しました。東友会を支えてくださる、平和と核兵器廃絶を願う人びとの大きな「輪」を実感できました。

三宅 私は50年間の運動の後半からの参加ですが、改めて痛感したのは「世代交代」です。東友会結成に奔走した先輩たちは、ほとんど亡くなられています。いまや会員は高齢者。そして役員などはほぼ完全に世代変わりをしていながら活動は活発になり、参加者が増えているのです。

山本 記念式典で上映した「ふたたび被爆者をつくらせないために 東京の被爆者50年の歩み」のスライドと飯田さんのナレーションが大好評です。あれを地区の会で見られるようにしてほしいという声があります。

三宅 よかったですね。50年間、運動の目標がぶれなかったのがよくわかって。それが被爆者運動のいいところです。あのスライドを2月の原爆展でも上映することにしています。

飯田 東友会は50年間、「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」を車の両輪にして、相談事業を基礎に、多くの都民に支えられ、団結して運動をすすめてきました。その成果をほんとうに実感できましたね。

原爆症認定問題の全面解決に向けて

山本 2008年は原爆症認定問題で大きな前進がありました。1月11日に、私たち原告は舛添要一厚生労働大臣と初めて面談。6月5日には二度目の大臣面談も実現し、いずれも東友会代表が参加して直接訴えました。

飯田 山本さんは東京と全国の原告団団長として、集団訴訟のシンボルとなって大変な活躍でしたね。
 4月から原爆症認定の「新しい審査の方針」が実施され、東友会扱いで100人以上が新しく認定されたと聞きました。
 首都・東京の被爆者団体として、東友会は厚労省前行動も国会要請も、神奈川・千葉・埼玉のみなさんとともにがんばりました。

三宅 6月の二度にわたる座り込みでも東友会は全力でとりくみました。世田谷でも若手の被爆者が積極的に参加してくれるようになりました。特筆すべきは、これまで国政レベルでは野党が被爆者の主張に賛同してくれていましたが、原爆症認定問題では、与党も応援してくれたことです。

山本 まさに「山が動いた」ことを実感できた1年でした。原爆症の認定者数は4月以降、全体で2000人を超え、東京では2倍以上になりました。一方、白内障と心筋梗塞は7人ずつしか認定されていないとか、審査の滞留が7500人もいる問題が残っています。
 厚生労働省との協議が続いていますが、引き続き、甲状腺と肝機能障害を「積極認定」に入れることと、裁判の一括解決を求めることが2009年の課題になります。

核兵器廃絶の課題も前進

山本 核兵器廃絶問題では、大きな展望が見えてきました。2008年1月のキッシンジャー発言につづいて、12月には「グローバルゼロ」の声明もでました。

三宅 「グローバルゼロ」には核保有国の首脳がすべて入っていますね。核不拡散・核軍縮に関する国際委員会でも、被爆者代表の話を聞いてもらえるということにもなりました。

山本 去年は臨界前核実験もふくめて、世界中で核実験がゼロでした。

飯田 アメリカの大統領選挙では「チェンジ ナウ」がコールされて。2008年の漢字も「変」でした。生涯をかけて核兵器廃絶を訴え続けていた東友会の仲間の顔が浮かびます。

三宅 固い扉をこじ開けた感じですね。2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議が楽しみです。

2009年の東友会の活動は

飯田 51年目の東友会の活動は、やはり被爆体験の継承です。先日、証言を聞いた小学校の校長先生は、「教科書に広島・長崎の話がほとんど載っていない。こういう話しを聞いたよと、家族に知らせることでも意味がある」と言われました。
 被爆者の平均年齢は75歳。核戦争の生き証人として「生かされている」という思いをきちんと伝えることが大切ですね。

三宅 2008年は2度、被爆の実相普及のための学習会を開きました。このなかで、これまで「語り部」活動をやってきた以外の人や被爆当時は幼少で記憶のない人から、被爆者として語らなければ、伝えなければ、という声が出てきました。
 これから担当の委員会でさらに話しあって、運動を広げたいと思っています。

山本 日本被団協は、在京の大使館回りやアメリカのオバマ新大統領に被爆者に会ってほしいという書簡を出します。国連での原爆展開催も展示内容の検討がはじまりました。被爆者も50~60人を派遣したいという話も出ています。

飯田 原爆症集団訴訟運動も全面解決の方向性が見えてきました。

山本 東友会は3月に厚生労働省に「不作為の異議申立」を集団で出すことにしています。これで大量の「滞留」をなくさせたいです。

三宅 5月28日に決まった東京高裁判決でぜひ認定問題を解決したい。衆議院選挙がいつになるか、内閣がどうなっているかにかかわらず、実現させたいですね。

飯田 東友会の運動は、「核兵器廃絶」「原爆被害への国家補償」が両輪です。集団訴訟も被爆の実相普及も両方の課題につながります。

山本 東京空襲被害者が国家補償を求める裁判をおこしています。「東京に空襲があったことすら忘れられてしまう」という危機感もあって提訴したと聞きました。戦後補償の問題では被爆者も一緒に運動を広げられると思います。

飯田 政府の「受忍」政策を変えさせることが大事です。国がきちんと戦争責任を果たすよう求めていくべきですね。

山本 組織問題では、被爆者の老齢化と病弱化で、地区の会の活動が難しくなってきていますね。

三宅 自治体ごとではなく、連合した地区の会にしたらという意見もありますが、なかなか難しいです。

飯田 東友会の財政も重要問題です。東京都の委託事業費が、約束された唯一の収入ですから。

三宅 都の委託事業費は、バブル崩壊後、都の「財政健全化」で減らされました。近年は横ばいでしたが、今度また都の税収が減るから削られるのでは、相談事業にも支障をきたします。

飯田 超党派でのご支援をお願いしていかなければと思っています。

おわりに

飯田 被爆者はますます高齢化していますが、支え合って団結して、みんなで被爆者運動を前進させる年にしたいですね。

三宅 いまの役員の中心は70歳代後半から80歳代に入っています。若手被爆者にもっと活動に参加してもらうことが重要です。証言にかぎらず、東友会の活動の中心になっていただきたいと思います。

山本 東友会の運動は「風化と忘却を許さない」ということですすめたいと思っています。みんなでがんばりましょう。