被爆者相談所および法人事務所
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ますます頼られる被爆者相談活動に 東友会相談員が語り合う実情と思い

 被爆者相談活動は、1958年に東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が結成される過程からすでに取り組まれ、1962年4月からは東京都知事の委託を受けて相談活動を強化。1971年からは専門の相談員が常駐する社団法人東友会原爆被爆者相談所(以下、相談所)として今日に至っています。被爆者の高齢化が進む中、日々の相談活動から見えてくる被爆者の実情や相談員としての思いについて、村田未知子、的早克眞、清水令子の3相談員が話し合いました。
(文責:編集部)

村田未知子相談員
的早克眞相談員
清水令子相談員

的早 えーっと、何から話しましょうか(笑)。

村田 被爆者の方の相談は慣れてるけど、こういうのは緊張するね(笑)。

的早 緊張といえば、毎朝これから相談が始まるときは、いまでも緊張します。

村田 あ、それはありますね。相談開始の10時になったとたんに電話が鳴るんです。電話機の前で時計見ながら待ってた感じ。悩んで考え抜いて決意して電話してきた――そんな印象があるんです。

清水 ああ、それは私も感じます。

的早 「これまで相談したことはなかったけど、これこれの病気になってしまって、思い切って相談します」といった感じで初めて電話してこられる人が多いですね。

村田 裁判のおかげで原爆症認定のことが知られるようになって、これまでいくつもの病気で苦しんできたり、苦しい生活のなかで貯えのない老後を迎えた人たちから、「もしかしたら私のこの病気は原爆症と認めてもらえますか」といった、思いつめたような相談が増えています。

清水 増えているといえば、被爆二世の方からの相談もそうですね。東京都には独自施策として二世の医療費助成制度があるのですが、二世の人から「ガンになったので…」という電話が多い。この4年間で、かなり増えていると思います。

村田 年齢的にも、最高齢の被爆二世は60歳代ですから、深刻な病気になってしまうケースも増えているのだと思います。

被爆の歳月を感じる相談事例が増加

村田 高齢化という点では、介護関係の相談も多いですよね。

清水 2008年は、家族介護手当から他人介護手当に切り替えるケースが多かったですね。被爆者の平均年齢を考えると夫婦世帯の場合、介護するほうも、されるほうも高齢者なので、共倒れになるケースが増えてきたのだと思います。

的早 「できるだけ人様の世話にはなりたくなかったが、どうにもならなくなって」といった電話は、確かに多いです。
 一人暮らしの被爆者の場合でも、ほんとにどうにもならなくなって相談されてくることが多く、難しい事例がけっこうあります。

清水 申請書類を郵送してこられるとき、短く心境を綴ってこられる方もいらっしゃるのですが、原爆被害を生き延びて今日まできて、いま介護を受けなければならなくなっている、その被爆者の方がたの人生が思いおこされて、辛さが伝わってきます。

村田 いつだったか、「私が生きていることが原爆被害を伝えることになるから、介護されながらでも生きています」と書いてきた被爆者がおられ、涙が出ました。
 社会全体が高齢化していますが、被爆者ゆえの問題を安易に一般化せず、きちんと位置づけるようにしたいと考えています。

的早 案外知られていないと思いますが、いまも被爆者手帳を取得したいという人がおられ、この1、2年、増えているんです。
 これらは、幼年時に被爆された人が多いんですが、本人に当時の記憶はないし、記憶があって証人になってくれそうな人はほとんど亡くなっている。被爆者手帳の取得は非常に困難になってきています。

村田 みなさん、被爆者手帳を取らなかった、取れなかった事情はあるんですけど、戦後を必死に生きてきて、いまふり返ってみると、やはり被爆の事実をきちんと国に認めてもらいたいという思いがあると感じています。

的早 どなたにもそういう気持ちがありますね。同時に、自分が被爆者手帳を取ることで、今後、子どもたちにもしものことがあったとき被爆二世の制度を使えるようにしておきたい、という親心もあったりする。なんとか手帳をとれるよう、いつも全力でお手伝いさせていただいています。

東友会の相談件数
10年間の推移(1998年から2007年)
年度 年間総計 月平均
1998 8,243 687
1999 9,038 753
2000 13,593 1,133
2001 13,518 1,127
2002 13,735 1,145
2003 14,688 1,224
2004 13,901 1,158
2005 11,291 941
2006 14,869 1,239
2007 18,193 1,516

原爆被害のとらえ方こそ相談の要

村田 近年は原爆症認定問題が注目を浴びていて、マスコミでも報道されていますが、毎日相談を受けていて心底感じることがあります。それは、「被爆者が認識している原爆症と、国が規定している原爆症は全然違う」ということです。
 確かに、裁判運動を通じて認定制度が一部改善され、これまでよりは原爆症と認定されやすくなりましたが、相談してくる多くの被爆者のお話をうかがっていると、それでも国がいう「原爆被害」は圧倒的に狭いんです。

的早 そう、それ!非常に深刻な病気をいくつも抱え、被爆後の歩みを聞くだけでも辛くなるような被爆者が、該当する病気がないとか、被爆条件がわずかに合わないというだけで原爆症とは認められない。つまり、国によって原爆被害とは無関係と決めつけられてしまうことになる。

村田 でも、被爆者のみなさんはそうは思っていないんです。例えば、20歳代から甲状腺機能障害を患い、長年苦しんできた被爆者がおられるんですが、現在は治療の必要がない程度に回復している。すると、原爆症ではないとされてしまう。国は、いま現在苦しんでいる病気の一部だけを原爆被害だと言っているように聞こえるんです。

清水 被爆者である親の介護を長年してきた被爆二世の方が相談してこられたのですが、話しているうちに泣き出されたんです。親の介護がたいへんで、結婚を約束した人がいたが親を見捨てるわけにいかず今も独身でいる、と。そういう二世もいます。これも、原爆が生み出したもので、被爆者とその子たちを苦しめている実例だと思います。

村田 相談員として、制度の説明や申請手続きのお手伝いは当然やりますが、同時に、もっと根本的なところを変えないと、ほんとうに被爆者の相談にのったことにはならないのではないかという思いがあります。

心をこめた相談活動をこれからも

村田 多くの被爆者と接してきて、共通しているのは亡くなった人たちへの思いが消し去りがたくあることだと感じています。原爆で「人間として死ぬことも、人間らしく生きることも」許されなかった被爆者の心の傷を、少しでも癒せるような法律・制度のもとで相談活動ができたらなあ、と思います。

的早 「被爆証言」を聞くときと、「相談」を聞くときでは、同じ被爆者が別人のようにみえる。これは相談員をやって初めて気づいたことです。ただ証言を聞くだけでなく、もっと人間同士の連帯感を持って被爆者のみなさんとお付き合いでき、その思いを受けとめていけるようなネットワークをつくれればいいな、と思っています。

清水 相談員にできることは限られているかもしれませんが、電話の向こうで泣いて訴えられた人たちを思うと、たとえ話を聞くだけであっても、心をこめて聞きたいと思います。

村田 東友会の相談所には、ここに参加した3人のほか、元銀行マンの八木下博さんと病院勤務の経験がある深谷淳子さんがいて、看護師資格を持つ清水さん、ケア・マネージャーの資格を持ち病院勤務経験の長い的早さんと、それぞれ特技を持つ相談員がおり、チームの知恵で対応しています。どうか安心してご相談ください。

的早 東友会での26年間におよぶ相談実績を持つ村田さんは、頼りになりますよ。相談件数が多いので、お待たせすることがあるかもしれませんが、私たちもがんばります。