東友会結成50周年記念式典・祝賀会 核兵器廃絶の願いを世界に
「あの日」を原点にこれからも
2008年11月16日に東京都原爆被害者団体協議会(東友会)は結成50周年を迎えました。50周年事業として東友会は11月8日、東海大学学友会館で記念式典・祝賀会を開催。記念誌「座談会でつづる東友会の50年」(A5判320ページ)を刊行しました。式典では、スライド「東京の被爆者50年の歩み」を映写しながら、1956年の日本被団協の結成から今日までの運動を飯田マリ子会長が感動的に紹介。
来賓としてあいさつに立った都議会議長代理の樺山たかし都議会議員は、「きょうはお祝いというより、広島・長崎の被害の風化とのたたかいを開始する日。日本国民しか発信できない原爆被害を、思想信条を超えて広く世界に広げるために、新たな決意を固めよう」とあいさつ。東京都福祉保健局長、広島・長崎市長のメッセージが紹介され、日本被団協の田中熙巳事務局長からの励ましのあいさつがありました。
式典では、東友会を支え続けた8団体に感謝状が贈呈され、感謝状をうけた団体を代表して集団訴訟東京弁護団の宮原哲朗弁護士が、「被爆者運動が原子野で無惨に亡くなられた人びとに対する誓いから始まっていることを痛感した。私たちは被爆の実相を学ぶことから弁護団の活動を開始した」とあいさつしました。
つづく祝賀会では、橋本のぶよさんのミニコンサート、東京都生活協同組合連合会の伊野瀬十三専務理事による乾杯、参加した政党、支援関係の方がたのあいさつの後、記念誌の座談会参加者が紹介され、東友会結成総会に参加した日本原水協の赤松宏一さんと東友会の安藤賢治顧問が当時の思い出などを語りました。
この日の式典・祝賀会には来賓111人と東友会から85人の計196人が参加。なごやかな懇談のなかで、核兵器廃絶と原爆被害への国の償いを求める運動への決意を固め合いました。
首都の被爆者運動 半世紀の歩みを確かめ合って
「被爆者の使命を再確認した」「被爆者から学んだことを広めたい」
関係者みんなが心から喜び合った式典・祝賀会
東友会結成50周年祝賀会は橋本のぶよさんの透き通る歌声ではじまりました。橋本さんは、東友会結成25周年コンサートのために梅原司平さんが東京の被爆者の体験を聞いてつくった曲「折り鶴」も紹介。
乾杯のあと、参加した政党代表のあいさつにつづいて、東京地婦連の川島霞子会長、東友会顧問医の園田久子さん、集団訴訟医師団の向山新さんをはじめ、各界の代表が次ぎつぎにマイクを持ってあいさつ。東友会が感謝状を贈呈した「けやき平和コンサートの会」からはお祝いの千羽鶴が届けられました。
参加者から感動の声
式典で上映されたスライド「東京の被爆者50年のあゆみ」は大好評。被爆者からは、「東友会が結成宣言で自分たちへの救援だけではなく、核兵器廃絶を強く求めたことを初めて知って、使命感を再確認した」「はば広い人びとの協力で50年間の運動がつづけられたことがよく分かった。みなさんに感謝している」「都心での運動になかなか参加できないが、被爆者みんなががんばって制度をつくり上げてきたことに臨場感を感じた」という声が寄せられました。
都民からも「一般市民の運動として、ほんとうに貴重な成果を残してもらったと思う」「平均年齢75歳と聞いたが、ものすごいパワーを感じる。私も被爆体験を学び、後の人びとに伝える運動に参加したい」という感想が届きました。
多くの支えがあってこそ
式典・祝賀会は、飯田マリ子会長と大岩孝平会計が担当し、会場の手配からコンサートの企画などをすすめました。
記念誌の編集は山本英典副会長と村田未知子事務局主任が担当。録音テープをもとに原稿を作成したのは理事の伊藤雅浩さん(八王子)と慶應大学院の八木良広さん。原稿の整理には8月後半から休日を返上して1カ月半かかり、印刷所のある沼津市に出かけて最終の校正作業をして、式典の日に間に合わせました。
式典・祝賀会の当日は、支援の金子朋美さんと榊原恵美子さんがボランティアで協力。祝賀会の料理にほとんど手をつける暇もなく、事務局員とともに受付業務などに奔走しました。
陰の労をとってくださったみなさんに感謝します。