浅草ウォーク すべての戦争被害に国は償いを!
被爆者、東京空襲被害者、若者たちが下町を行進
「すべての戦争被害者・遺族に差別なき償いを」を合い言葉に、「第3回浅草ウォーク」が2008年10月19日に、200人が参加しておこなわれました。始まりは、台東区民会館9階で開かれた集会。「東京空襲被害者・原爆被爆者に国家補償を」の横幕が掲げられた会場は、東友会の青いたすきを掛けた被爆者、東京大空襲原告団の赤いたすきを掛けた人びと、七色の虹の旗を持った生協の人びとなど、200人が集まりました。
浅草ウォークの共同代表3団体である、サークル「和・ピースリング」、東京空襲犠牲者遺族会、東友会から、代表して、東京空襲遺族会の星野ひろし会長があいさつ。この1年間のとりくみを「和・ピースリング」、東京空襲遺族会とともに、東友会の飯田マリ子会長がスライドを使って報告。政府に「新しい審査の方針」をつくらせた原爆症認定集団訴訟運動の成果と今後の運動を紹介し感動をよびました。
2008年の「ウォーク」には被爆者や空襲被害者とともに「戦争ホウキ隊」が初参加。白い割烹着姿で「戦争ホウキ、憲法9条を守れ」などと書いたカードをつけたカラフルな箒をかざして、浅草育ちの芸人・エノケンの曲に合わせたステップを踏みながら花川戸公園から吾妻橋まで浅草寺を一周するコースを行進。墨田区の被爆者・故福地義直さんが製作した広島型原爆・リトルボーイの模型も参加しました。
浅草寺の雷門前にさしかかると、東京空襲を体験した地元・浅草の市民と観光客から声援と拍手が飛び交い、英文のプラカードを見た外国人観光客が人力車から手を振るなど、浅草の街と一体となって行進がすすんでいました。