被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 東京訴訟 専門家、原告本人の尋問つづく

「医師として国の認定基準に納得できない」
証人尋問 聞間ききま医師が法廷で証言

 原爆症認定集団訴訟で、専門家を呼んで意見を聞く証人尋問は2005年6月14日、全日本民医連被爆問題委員長の聞間ききまはじめ医師を招いておこなわれ、85人が傍聴しました。
 聞間ききま証人は杉尾健太郎弁護士の質問に答えて、民医連が被爆者診療を始めたのは1953年の創立以来で、現在も全国で2万人ぐらいの被爆者を診療しているとのべました。このような実績をふまえて、2004年10月に「原爆症認定に関する医師団意見書」をまとめました。これは、国の基準にもとづく原爆症認定の実態について医師として納得できないものがあるので、140数人の原告のデータを集め、被爆者医療について集積されている医学的知見を整理、先人の記録なども参考にしてまとめた、とのべました。
 そして聞間ききま証人は、被爆者の疾病には原爆放射線の影響の可能性を排除することはできないとのべ、いまの厚生労働省の被爆者行政は放射線被曝による人体影響を正確に把握したうえでおこなわれているものではないとのべました。
 つづく宮原哲郎弁護士の質問に聞間ききま証人は、放射線影響研究所(放影研)の被爆者寿命調査で、放射線に関連したガンによる推定死亡数が30%も増加していると指摘し、注目を集めました。

証人尋問の日、厚労省前での行動の一場面。「原爆症認定集団訴訟の勝利を!」などの横断幕を掲げ、東友会のたすきを掛けた被爆者が厚労省前の歩道に並ぶ。
厚労省前で原爆死没者に黙祷をささげる

被爆時10代半ばの少年2人が証言
原告本人尋問 西本さん、福地さん

 原爆症認定訴訟の原告本人尋問が2005年6月27日、東京地裁606号法廷でおこなわれ、長崎被爆の西本照雄さんと広島被爆の福地義直さんが証言しました。
 西本さんは、熊本県立工業から学徒動員で長崎の三菱造船飽ノ浦のトンネル工場内(3.2キロ)で被爆。爆心から8キロの小ヶ倉宿舎に夕方帰りますが、途中見たに違いない惨状は、全く記憶がないと証言。被爆時16歳、直腸ガンと胃ガンの重複ガンでの申請です。
 福地さんは、14歳で爆心から1.1キロの広島市国泰寺町で被爆。1992年に肝機能障害(C型肝炎)となり、2001年に肝硬変で原爆症認定を申請しましたが却下されたため提訴。2004年に肝ガンになりました。

被爆後の人生を2人の女性が証言
原告本人尋問 N子さん、中山さん

 2005年7月11日の本人尋問は、長崎被爆のN子さんと中山勇栄さんでした。
 N子さんは、7歳の時、爆心から3.8キロの東山手で被爆。翌日から3日間、爆心地の浜口町に、父母に連れられて叔母の安否を尋ねて行きました。8月15日頃から手に皮膚炎を発症、結膜炎や口内炎に悩み、1985年、甲状腺機能低下症になり、2002年認定申請却下で提訴しました。
 中山さんは、14歳の時、爆心から1キロの三菱病院浦上分院で被爆。家の下敷きになり、全身にガラス片を受けました。急性症状に苦しみ、ガラス片は5年後までくり返し摘出手術をしました。この手術跡のうち首にできたのが有痛性瘢痕となって認定申請を出し、却下され、提訴しました。