被爆者として核兵器廃絶を訴え続ける 3・1ビキニデーに参加して
東友会事務局次長 上田紘治
ヒロシマ・ナガサキ原爆被爆60年、ビキニ水爆実験被災51周年の2005年、2月27日から3月1日まで静岡で開かれた3・1ビキニデー集会に、東友会代表として参加しました。
第1日目、1200人集まった日本原水協全国集会では、メキシコ駐日大使、アメリカ、フランス、ロンゲラップの海外代表と並んで、被爆者としての発言の機会を与えられました。わずか2分でしたが、自分の被爆体験と東裁判の緊急署名への協力を訴えました。集会後、ある女性から「私の子どもがいま3歳。上田さんが被爆した歳と重ね合わせて聞いた」と声をかけられました。
2日目は6つの分科会が開かれ、私は「被爆者連帯・集団訴訟支援」の分科会に参加。約100人に初日の発言内容をもう少し詳しく話せる機会があり、被爆者として一日も早く核兵器廃絶を願うと訴えました。
3日目の3月1日、久保山さんのお墓まで焼津市内を行進。そのあとの集会と合わせ、核兵器廃絶への誓いをあらたにしました。
この3日間、東京おりづるネットの黄色いタスキをかけた10人が集会ごとに会場で東裁判と集団訴訟の支援を訴え、緊急署名約400人、集団訴訟署名約200人を集めました。
ビキニ水爆実験では1000隻近くの船が被曝しましたが、アメリカと日本の政府は謝罪も補償もしていません。核兵器被害を「小さく軽く狭く」見せることでも一貫していると実感しました。