東都生協と東友会の交流会 都内3カ所で
参加者全員が発言 共感の輪ひろがるひとときに
2004年の東都生協と東友会との交流会は、国分寺市、江東区、杉並区で開かれました。3カ所の参加者数は174人にのぼり、38区市の被爆者地区の会代表が参加しました。
東都生協が被爆者を招いて交流会をはじめて開いたのは1988年12月22日。国家補償の被爆者援護法を実現させようという国民世論が盛り上がっていた頃でした。「交流会」は、以後17年間続けられ、「被爆者のみなさんに暖かい冬を」と毎年500枚から300枚もの手編みの膝掛け、ベストなどが贈られてきました。2004年の特徴は、3カ所のすべてで「全員発言」が計画されたことです。いずれの会場でも被爆体験の証言を聞いた後、参加者全員が発言しました。
被爆証言を聞いた東都生協組合員が、マイクを握ったまま絶句している姿に涙する被爆者。「原爆で一人だけ生き残って…。みなさんの励ましがなかったら…」と声をつまらせた被爆者を抱きかかえるように支える組合員。「ガンが発見され『やっぱり』と思った。ずっと不安だった…」「反対を押し切って被爆者同士で結婚した。子どもに障害が出ている」「平和のためにできることは、被爆体験を話すことだと決意し、体験記を書きはじめている」という被爆者の声に、「憲法9条が危ない。日本が戦争を始めるのではないかと不安だ」「被爆体験を引き継ぐ世代の重大な使命を感じた」と組合員の声が応えました。「いま核兵器の廃絶を!」の署名を東都生協の被爆60年事業としてとりくむという報告もあり、会場には深い感動と共感の輪が広がりました。
多摩地区全域 (11月20日) 編み物に込めた平和への願い
国分寺市Lホールで開かれた交流会には、多摩地区全域から75人が参加。東都生協を代表して、高島慶子理事が、編み物に込めた平和への願いを紹介しながらあいさつ。東友会代表として西野稔事務局次長があいさつしました。被爆証言は、武蔵野けやき会の永井淳一郎会長。広島の爆心地付近に建物疎開に動員され、被爆死した妹の姿と、娘への思いから被爆者運動に参加した父の姿を感動的に証言。全員の発言と紙芝居の上演もおこなわれました。
東部・中部地区 (11月27日) 証言、聞き書き、ピースリーフ
江東区のカメリア・プラザで開かれた東部・中部地区の交流会には38人が参加。東都生協の高島理事があいさつし、東友会の山田玲子事務局次長が、当時の広島の地図を示しながら、被害の実態と、建物疎開を休んで生き残った姉の苦悩を証言。さいたまコープ労組の島村雅人さんが、埼玉県の被爆者団体・しらさぎ会と長年つづけている被爆体験の聞き書きを紹介。東友会の村田未知子事務局主任は原爆裁判と「ピースリーフ」への参加を訴えました。
西部・南部地区 (11月29日) 歌やゲームでわきあいあい
西部・南部地区の交流会は、杉並区にある東都生協さんぼんすぎセンターで11月29日に開かれ、61人が参加しました。
東都生協の高島理事と東友会の横川嘉範副会長があいさつ。三宅信雄監事が広島の爆心地から2キロ地点の市電のなかで受けた被爆体験を証言しました。全員発言の合間に組合員の松林潤子さんがギターを抱えて歌や憲法9条のゲームを披露。会場を盛り上げました。最後に、米田チヨノ副会長がお礼のあいさつをしました。