「田川時彦さんを偲ぶつどい」 心のこもった「追悼」次つぎ
170人が献鶴、故人の遺志ついで核廃絶誓う
東友会前会長の「田川時彦さんを偲ぶつどい」が、2003年9月16日夜、東友会がある平和と労働センターホールでおこなわれました。
生花で飾られた遺影に、折り鶴をささげて開式。飯田マリ子副会長の司会で、被爆者を代表して藤平典新会長、遺著『原爆と人間』の編集委員を代表して佐貫弘氏、原水爆禁止運動で37年の交際をつづけた赤松宏一氏が、心のこもった追悼のことばを贈りました。横川嘉範副会長の発声で献杯。山本英典事務局長と山田玲子事務局次長の司会で各界の人びとからの追悼のことばを受けました。
「つどい」には、東京、千葉、神奈川、埼玉の被爆者、原水爆禁止運動の関係者、学校、平和教育、「原爆と文学」の同僚、法律家、出版社関係者、医師、市民団体のメンバーなど170人が参加し、故人の多彩な活動を偲び、語りあいました。
各界の人びとが追悼
参加者には、田川さんの略歴と出欠の返信ハガキで寄せられたメッセージが載った文集が渡されました。23ページにもなったこの文集には被爆者100人、支援者87人の声がびっしり。
そのなかから、20人が思い出を語りました。児童文学者の古田足日さんは、2004年3月に田川さんの遺著を出版する作業が進んでいることを発表。弁護士の池田池田眞規さんは、田川さんの遺著『原爆と人間』は被爆の実相と原爆使用の非人道を克明に描いたすばらしい本であり、原爆症認定集団訴訟の書証として裁判所に提出したいとのべました。
東京地婦連の田中里子さんは、田川さんも参加しようとしていた集団訴訟を勝利させるために、地婦連は全力を挙げると発言。記録映画「にんげんをかえせ」の監督だった橘祐典さんは、今日につづく原爆被害の残酷さをつたえる映画をつくりたいと語りました。
東友会元会長の故・伊東壯さんの妻・久代さん、被爆者運動の理論的支柱だった故・田沼肇法政大元教授の奥さん・祥子さんからのことばもありました。
被爆者からは、日本被団協の田中事務局長、田川さんと同級だった千葉の反田浩之さん、新聞「被団協」の創刊当時からいっしょだった杉並の吉田一人さんらが思い出を語りました。
田川事務局長時代に事務局員になった鏡政子さん、村田未知子さんが、「先生ありがとう」と泣きながら遺影に語りかけ、会場の涙を誘いました。
会場には、田川さんの筆字の書状や、ガリ版刷りの文書、中国新聞の田川さん特集記事、思い出の写真集なども回覧されました。
「つどい」の最後は遺族のあいさつ。妻嘉子さん、長女ゆかりさん、長男晋一さんが遺影の前に立ちました。晋一さんは、故人が書き残したノートを広げながら、「追悼のつどいがあったら話すべきこと」という書き置きもあったことを紹介し、故人が死を覚悟しながら懸命に生きていた姿を語り、感動をよびました。
「原爆を許すまじ」の合唱を捧げ、米田チヨノ副会長のことばで閉会しました。
新会長に藤平典さん
9月16日、東京都原爆被害者団体協議会と社団法人東友会の臨時総会を開き、新会長に藤平典さんを選出しました。
藤平典新会長は、日本被団協の代表委員であり、地元の中野・長広会の会長でもあります。栃木県出身で、広島高等師範学校1年の時被爆。東京で教師をつづけながら東友会の事務局長をつとめるなど、被爆者運動をつづけてきました。