被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 東京訴訟 原告・弁護団が国の姿勢をきびしく追及

 「裁判でこんなに感動するなんて…」「感性と理性、両面に訴えるすばらしい法廷でしたね」。2003年9月11日の原爆症認定集団訴訟第の第2回口頭弁論を傍聴した人びとの声です。この日、東京地裁103号法廷には、被爆者、支援者、青年ら120人がつめかけました。
 この日に陳述をしたのは原告の梅園義胤さんと齊藤泰子さん。安原幸彦弁護士は国側のあいまいな答弁書にきびしく釈明を求め、証拠書類の説明を田部知江子弁護士が担当しました。
 梅園さんは、「巻いていた布をとったときの母の凄惨な姿は一生忘れられません」と、5歳のとき広島の爆心地から2キロ地点で被爆した体験と、インターフェロンを自己注射しながら16年間つづく腎臓ガンとのたたかいについて陳述。7月11日に亡くなった原告の一人で幼なじみだった右近行洋さんの裁判への思いも代弁しました。
 4歳のとき広島の爆心地付近に入って被爆した齋藤さんは、抗ガン剤の副作用とたたかいながら出廷し、母から聞いた急性症状について陳述した後、「私の親戚には入市被爆した姉と私以外にガンにかかった者はいません。入市だから影響がないというのは間違っています」と。
 安原弁護士は、被告・国側の答弁書に対して、原爆投下への評価、被曝線量の算出に人体への影響が5倍から20倍も多いという中性子線とガンマ線の被爆線量を単純に合計している問題、残留放射線の体内被曝の算出方法などについて、するどく追及しました。
 田部弁護士は、この日に証拠として裁判所に提出した日本被団協の『あの日の証言』に収録された被爆者の証言を透き通る声で朗読し、感銘を与えました。

感動の渦 報告集会でも

 口頭弁論の後、弁護士会館で報告集会が開かれました。集会の最初に第2次提訴に参加した4人の原告を杉尾健太郎弁護士が紹介。原告一人ひとりが決意を述べました。
 つづいて池田眞規弁護士は国際法違反の原爆投下を裁く意味での集団訴訟裁判の意義と目的について、宮原哲朗弁護士が全国の動きを報告。原告団の大森克剛副団長は原告としての証言活動を、ピースバードの青年が日本被団協で遠距離・入市被爆者調査のコンピューター打ち込み作業で感じた被爆者の実態について、東京原水協の集団訴訟支援を前面にかかげた原水禁世界大会については東京原水協の後藤葉子事務局長が、地域の原爆展で集団訴訟を知らせた活動について東友会の飯田マリ子副会長が報告し、大きな拍手に包まれました。