被爆者相談所および法人事務所
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「原爆に負けてたまるか」相談員養成合宿研修会で力強い決意

常任理事を講師に諸課題学習、地区活動の創意工夫交流も

 2002年の東友会第2回相談員養成研修会は、9月1、2日の両日、静岡県伊東のハトヤホテルでおこなわれ65人が参加しました。
 第1日目は、「原爆症認定集団申請者の現状と思い」と題して村田未知子相談員が講演、つづいて申請をした3人が決意表明、山本英典事務局長が「原爆症認定集団申請・集団提訴の意義」を講演しました。
 申請者3人の発言は、命をかけて原爆とたたかう決意を語ったもので、参加者の感動を呼びました。

梅園義胤さん
 5歳のとき、爆心から2キロで被爆し、47歳で左腎臓がんに冒され、手術で切除したが、7年後に肺に転移して肺がんになった。それで原爆症認定を申請したが、却下された。国は、被爆者が亡くなるのを待っているのじゃないかと思う。
大森克剛さん
 大学病院を選んで大腸がんの手術を受けたのは、献体のつもりだった。病院では「絶対に人工肛門にはしない」というので、まな板の鯉の心境で手術を受けた。幸い人工肛門にはならなかったが、半年後には胃ガンが発見され、胃を4分の3切除した。
 「どんな形で死んでも、それが被爆者の生きざまなんだ」と思っている。私は翌日広島入市だから、認定は難しいようだが、「原爆に負けてたまるか」と思って裁判をするつもりだ。
西本照雄さん
 直腸がんと胃ガンで3回手術した。8人兄弟のなかで、がんは私一人。集団申請には抵抗があったが、このまま過ごしたくないと思って申請した。エンジンはまだ全開していないので応援してください。

常任理事を講師に諸課題学習

 2日目は、「最近の情勢・被爆者の生き方と運動の視点・地区活動」と題して、常任理事と事務局員が分担して4つのテーマで問題提起がありました。
 休憩時間には「健康体操」の指導を受け、さらに「地区活動の創意工夫と運動の視点」について5人が報告し、参加者は学習・経験交流を深めました。

在外被爆者問題

 国分寺の西野常任理事は、在外被爆者問題について提起。
 在外被爆者に援護法が適用されない根拠は、法律の条文ではなく、局長通達であること、2002年6月に始まった支援事業は、渡日を前提にしていて、在外被爆者の要望とはかけ離れたものであることなどを話し、「特別手当の打ち切りは不当」と大阪地裁に提訴した李在錫さん(韓国)が中学の同期生だったとの紹介もありました。

有事法制

 「有事法制と被爆者」についての問題提起は、三鷹の大岩理事が担当。
 他の国から攻撃を受ける可能性がほとんどない今、首相が「武力攻撃が予測される事態」と判断すれば措置が実施される有事法制は、戦争をしない国から戦争のできる国への転換をするというおそれがある法律だと言えること、核兵器廃絶という私たちの目標にも逆行するものであることなどについて話しました。

住基ネット

 「住民基本台帳と被爆者」については、多摩の小出理事が問題提起。8月5日から一部の地域を除いて始まった、住民基本台帳ネットワークシステムについて説明し、区市役所や国は「絶対に情報は漏れない」と言うが、(防衛庁の問題等の)最近のニュースを見れば、そんな保証はないこと、将来的には被爆者の手当の受給情報がネットに記載される可能性もあることなどについて指摘しました。

健康保険制度

 「健康保険法改悪と被爆者」について、矢澤ちひろ事務局員が、長期入院などについての保険適用外しの拡大問題などを話しました。

地区活動で多彩な創意工夫

 「地区活動の創意工夫と運動の視点について」は、まず豊島・豊友会の山田会長が、弁護士などの専門家と支援者の協力でおこなっている法律相談や戸別訪問活動などについて報告。
 武蔵野・けやき会の永井会長からは、20年ぶりに地区の会を再建した経過と、この間の活動、今後の抱負についての報告があり、東友会の上田事務局次長からは戸別訪問した稲城市の被爆者の現状が報告されました。
 葛飾・葛友会の長岡事務局長からは、原爆写真展や広島・長崎への派遣など、区とともにすすめる平和事業について報告。
 最後に、北・双友会の飯田会長からは、地域の団体と共催した原爆写真展の際、写真パネルだけでなく、最近の原爆症認定集団申請に関する新聞記事や東京での集団申請の写真なども拡大コピーして展示していることなどについて報告がありました。
 参加者からは、「自分の地区活動の参考になる」との感想が寄せられました。