日本は核兵器禁止条約に参加を 2024年国民平和大行進はじまる
「ビキニ被災70年から広島・長崎被爆80年へ、核兵器廃絶・非核の日本めざし歩み進めよう」2024年原水爆禁止国民平和大行進が5月6日、江東区夢の島の第五福竜丸展示館前から広島に向けて出発しました。行進は、核兵器廃絶を訴えながら、8月4日に広島に到着します。
出発集会 夢の島に600人集う 東友会の被爆者も一翼担い
出発集会には全体で600人が参加。このうち東友会から参加した12人が「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」の旗をかかげ、青いタスキ姿で立つなか、被爆者を代表して家島昌志日本被団協代表理事が自身のがん発症など放射線の後障害の実態とともに、日本政府が核兵器禁止条約に署名するよう運動を広げようと訴え、東友会を代表して村田未知子事務局長が、相談員の立場から被爆者の深刻な実態を伝え、被爆者の願いを引き継いでほしいと呼びかけました。
世界大会実行委員会運営委員会共同代表の高草木博さんは、「核の傘」に依存し続ける日本政府の態度を批判。第五福竜丸平和協会、日本青年団協議会、日本山妙法寺の代表がそれぞれ挨拶し、2024年の平和行進の意義を語りました。
東京から広島まで歩く「通し行進者」や、国民平和大行進に呼応して米国内でおこなわれる「Peace walk 2024」のとりくみも紹介されました。
銀座アピール行進 休日の銀座で高らかに 沿道の人びとに手を振って
行進は午後1時に出発。東友会のメンバーは先頭の横断幕や東友会の旗を持って歩きます。夢の島大橋から永代通りを経て東陽町、木場、門前仲町、永代橋と進み、午後4時に有楽町で待っていた22人と合流。「銀座アピール行進」が始まりました。
銀座アピール行進の先頭は、東友会の旗。折からの強風になびく旗をしっかりと支えて先頭を歩く被爆者の後に、平和行進の横断幕を持つ被爆者が続きました。
宣伝車からは「行進の先頭を青いタスキを掛けて歩いているのは、東京の被爆者と被爆二世のみなさんです」「被爆したのは79年前。まだ幼いときでした。大人たちが引き起こした戦争の犠牲になりました」との声が休日の銀座の街に響きました。
被爆者は手を振りながら、数寄屋橋、土橋交差点から日比谷公園まで行進しました。
平和行進2日目 悪天候にもめげず 被爆者の姿が周囲を励まし
翌7日の国民平和大行進は、港区から神奈川県への引き継ぎ。港区芝公園「平和の灯」の前で開かれた出発式では、港区長のメッセージが代読され、港区に住む被爆者・髙木恭之さんが「被爆者として一日も早い核兵器廃絶と恒久平和を願う」と挨拶をしました。
午前9時に出発した行進は、日比谷通り、JR品川駅前、青物横丁、鮫洲、大森海岸から蒲田、六郷土手まで、雨天をついて行進し、午後3時半頃に横断幕を神奈川県の人びとに手渡しました。
この日の行進には、足立区と大田区の被爆者が参加。大田・大友会からは中川夏代会長など4人が京急蒲田駅から六郷土手まで先頭の横断幕を持って行進。山下和宏・足立足友会会長は6日の全コースと7日の一部を、大友会の四辻美智子さんは、2日間の全コースを歩きました。