2024年3・1ビキニデー報告 国家が生み出した核被害には国家が責任を
興田茂(町田)
2024年2月29日と3月1日の2日間、静岡市・焼津市を会場に開催された3・1ビキニデーの諸行事に、東友会の代表として派遣されました。
29日は、日本原水協の全国集会(全体集会と分科会)がおこなわれ、約700人が参加。オンラインでも200人以上の参加者がありました。
この集会の共通テーマは次の3点です。
- ビキニ水爆被災70年 ストップ戦争!核兵器のない世界をただちに
- 大軍拡・戦争国家づくりNO!核兵器禁止条約に参加を
- ビキニ水爆実験被害の全容解明と被害者全員救済を
基調報告では、「核が使用される懸念が高まっている。3・1ビキニデーは反核の原点である。アメリカの核の傘に入っていていいのか?」との指摘がありました。上智大学の中野晃一教授は、「現在、ロシアとウクライナ、およびイスラエルとガザの間でおこなわれている戦争で、核が抑止力を持っていないということが判った。台湾有事は、日本有事にはならない」と指摘。目から鱗が落ちるようでした。各国政府のメッセージでは、オーストリア外務省からのビデオ・メッセージが紹介され、「核不拡散条約(NPT)は効果が消えつつあり、核兵器禁止条約が世界的に認められている」と述べられていました。日本政府も参加を検討すべき時期にあると思います。
つづく分科会では、「第3分科会―被爆者援護・連帯、核被害者への援護」に参加しました。
直前に被爆者としての発言を求められ、「私は胎内被爆者であり、母親から聞いたこと、学生時代に見聞きしたことぐらいしか話せない」と断ったのですが、「それでいい」ということで、被爆により親戚の叔父が2人死亡し、遺骨もないこと、祖母は避難しており3日後に安否を確認しに十数キロ離れた疎開先から尋ねた母と面会できたことを話しました。学生時代の経験として、町で顔にケロイドがある人を見かけたこと、相生橋から見えた川岸のスラムの印象などを話しました。
司会者からは、「今後は被爆者がいなくなる。被爆二世および非被爆者も被爆証言をすることになる。運動の意義を受け止めて継続しなければならない」とのまとめ発言がありました。
3月1日は、午前中に献花墓参行進と久保山愛吉氏墓前祭があり、9時30分に焼津駅前を出発して市内を1時間ほど行進し、久保山愛吉氏が眠る弘徳院に到着。墓前に花を捧げました。
午後からは「被災70年 2024年3・1ビキニデー集会」がおこなわれました。これは原水爆禁止世界大会実行委員会と被災70年2024年3・1ビキニデー静岡県実行委員会の共催によるものです。
ビキニ水爆被災者のマーシャル諸島共和国代表などの発言のほか、2月28日に開かれた「ビキニ水爆被災70年シンポジウム」で報告した奈良大学の高橋博子教授は、日本政府が米国政府とビキニ事件の決着を取り引きし、その文書を隠し続けていると告発。核被害は世界のどこでも国家により隠ぺいされているが、こうした核被害の事実を明らかにさせ、核兵器廃絶の先頭に立つのが日本政府の役割だと訴えました。
有意義な2日間でした。