国民平和大行進はじまる 4年ぶりに「通し行進者」も
2023年5月6日、原水爆禁止国民平和大行進 東京-広島コースが、江東区夢の島の第五福竜丸展示館前から出発しました。この行進は広島到着までの3カ月間、各地を歩き継がれます。
青空のもとに開かれた出発集会には、東友会の被爆者や日本原水協、労働組合など平和を求める市民約450人が参加。2023年は4年ぶりに東京・広島間を歩き通す「通し行進者」も復活。原水爆禁止世界大会実行委員会の高草木博共同代表が「核兵器対核兵器の対立では平和と安全はつくれない。核兵器のない世界をいま実現せよ。このメッセージを世界に発信しよう」と開会の挨拶をしました。
被爆者を代表して、日本被団協の家島昌志代表理事(東友会代表理事)は「核兵器は人類と共存できない。核兵器は廃絶する以外に人類を守る手だてはない。国民の声として原爆・核兵器が許されないことを訴えていこう」と語り、東友会の湊武執行理事は「核兵器は悪魔の兵器だ。日本政府の核兵器禁止条約への参加を求め、世界中から核兵器をなくすために歩き続けよう」と呼びかけました。
出発集会には江東の被爆者と東友会役員9人が参加。江友会の小野口知子会長は、夢の島から東陽町まで先頭の横断幕をもって行進しました。
被爆者を先頭に「銀座アピール行進」 にぎわう街にたなびく東友会の旗
国民平和大行進が銀座近くにさしかかると、東友会の被爆者12人が出迎え、行進の先頭に立ちました。恒例となった「銀座アピール行進」です。
宣伝車の後に続く東友会の旗は、この日の強風を受けてたなびき、横断幕を持つ被爆者も風に押されながら行進。「ウェブで知った」という多摩地区に住む被爆三世の女性が飛び入りで参加して、被爆者といっしょに行進しました。
「行進の先頭を歩く青いタスキをかけた人たちは、78年前広島・長崎で被爆し、東京に住む被爆者のみなさんです。被爆したときは、みなさん幼かった頃です。なかには、お母さんのお腹の中にいた人もいます。核兵器を使わせない、戦争のない世界を願って歩いています」の声がスピーカーからながれると、「毎年、この声に励まされて、足が軽くなる」と語る被爆者も。信号待ちする人たちから、笑顔や励ましのエールが送られ、ビルの窓から手を振る人の姿もありました。
この日の行進は夢の島から日比谷公園まで。15キロ近いこのコースを、家島代表理事と綿平敬三広報委員長がすべて歩き通しました。
平和行進2日目 激しい風雨のなかを行く 港区から大田区を経て神奈川県へ
2023年5月7日、平和行進2日目は、港区、品川区、大田区を通って多摩川・六郷土手で、神奈川県に引き継ぎました。
港区
5月7日午前9時、平和行進2日目の出発式が芝公園でおこなわれました。あいにくの雨天でしたが、思ったより人が集まりました。
武井雅昭港区長のメッセージが紹介され、区長のペナントを広島までの通しの横断幕に取り付けました。
港・港友会からは熊谷智香子会長が挨拶をおこない、参加者を激励しました。
広島まで歩き通す「通し行進者」をはじめ参加者のみなさんは、雨をついて出発。港友会の一同は手を振って見送りました。(髙木恭之)
大田区
港区を出発した2日目の平和行進は、品川区を経て大田区へ。大田産業会館前から、大田・大友会の中川夏代会長ら2人が先頭に立って行進。昨今の世界情勢を意識して、「核兵器廃絶」「世界の平和」などの願いを訴えました。
途中から雨と風が強まり、雨具を着て、傘をさしていても、頭から靴の中までぐっしょり。リュックにも水がしみこんでいました。
東京原水協の人びとなどからの温かい気遣いと支えがあり、沿道の人びとの激励も受けて、東京の被爆者が無事に横断幕を届けることができました。
この日の引き継ぎ地点である六郷土手では、神奈川県の人びとの熱い拍手での出迎えに感動しました。 (中川夏代)