【訃報】
足立・足友会元会長 砂川 三郎さん
足立区の砂川三郎さんが2017年2月8日に亡くなりました。享年93歳でした。これで、東友会結成にたずさわった被爆者は、すべて他界されました。
砂川さんは22歳のとき広島の比治山下にあった陸軍暁16710部隊の勤務中に被爆。建物の下から救出された後、高熱に1週間苦しめられ、周囲の戦友が脱毛や吐血をして次々に死亡する中で、かろうじて生き残りました。
砂川さんは東友会結成の年1958年から21年間、財政や組織を担当する協議会常任理事として活躍。1960年9月足立区の被爆者の会「足友会」の発足の発起人となり以後19年間、会長を務めました。
東友会が1988年に刊行した『沈黙から行動に ――東京の被爆者30年の歩み』に、当時の足友会会長だった故・江口保さんが砂川さんの活躍ぶりを次のように紹介しています。
「1年間に2回は全被爆者を訪ねよう」と、土曜・日曜日になると砂川さんと谷口勝美さん(2年後副会長)は、訪問を始めました。1日4~5軒回ろうと思っていても、会えば喜ばれ、なつかしがって『上がってください』といわれ、1~2軒しか回れないこともしばしばでした。会報も砂川さんのていねいな手書きで、会員一人一人に送られていました」
さらに、北千住駅前での6・9行動や原爆展は、砂川さんが足立原水協に提案したこと、四ツ木診療所の被爆者集団健診の基礎となる話し合いをはじめたのも砂川さんだったことも紹介されています。
砂川さんは、足立区への10年近い要請が実って足友会に区の助成金が実現した1979年に東友会と足友会の役員を退任し、その後は足友会の顧問として会を見守っていました。