8月の広島に向け平和行進が出発 体験を胸に被爆者が先頭を行く
2015年原水爆禁止国民平和大行進が、5月6日夢の島・第五福竜丸展示館前を出発しました。行進は3カ月後の広島市平和公園の到着をめざして、全国各地をリレーされていきます。同日、北海道の礼文島から東京に向けた行進も出発しました。
出発集会では、日本被団協代表の児玉三智子事務局次長と東友会代表の大岩孝平代表理事が、江東区の松本軍二江友会会長、江戸川区の高比良毅事務局長などとともに挨拶。行進には、NPT要請団の活動を終えニューヨークから帰国したばかりの木村徳子さんら11人が参加しました。
行進の先頭には「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」と染め抜かれた東友会の旗を被爆者と家族が支えて、被爆者の核兵器廃絶への願いを伝えました。
銀座の街でアピール
午後4時すぎ、夢の島から東陽町、東京駅付近を通過した行進が西銀座にさしかかると山本英典執行理事など31人の被爆者が行進の先頭に立ちました。東友会が「銀座アピール行進」と名付けた行動です。
先頭の宣伝車のスピーカーからは、「行進の先頭を70年前に広島・長崎で被爆した被爆者のみなさんが歩いています」「核兵器を一刻も早く廃絶してほしいとの思いで行進しています」「あなたもご一緒に歩きませんか」の声。
NPT再検討会議の要請団に参加した東友会代表のほとんども行進に集結し、交代で横断幕をもって、沿道の人びとにアピール。第1日目の行進は、目的地の浜松町駅近くの芝公園に到着しました。
神奈川へ引き継ぎ
翌7日、芝公園から出発した行進は、目的地の川崎市役所にむけて出発。港区の髙木陽雄港友会事務局長が参加しました。
行進は、品川区を経て大田区に入ります。大田区では中川夏代大友会会長など大田区の被爆者が参加しました。夕刻、平和行進は神奈川県との県境・多摩川にかかる六郷橋付近で出迎えを受け、川崎市役所前で神奈川県の被爆者に引き継がれました。
原水爆禁止平和行進は、「歩くという人間の最も初歩的な行動によって、人類的課題である原水爆禁止を訴えたい」という、一人の青年の思いからはじまりました。
1958年6月20日、広島市の平和公園を出発し、東京への1000キロを通して歩いたのは当時の大牟田炭鉱で働く労働組合の活動家の青年。たった一人で山間を歩いたこともあったこの活動が知られるにつれ、いっしょに歩く人が増えていきました。
さらに沿道の人びととの共感の輪も広がります。お茶や食事の接待を受けたり、行進を手を合わせて見送る人の姿もあり、8月に東京に入る頃には、1万人の大行進にふくれあがり、沿道のビルの窓から紙吹雪が舞いました。57年間つづく平和行進は、世界各地でもとりくまれています。