被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 大阪地裁判決 原告9人全員が全面勝利

入市・遠距離にも道開く画期的判決 原告らの笑顔ひろがる

 国・厚生労働省による原爆症認定の却下処分の取り消しを求め全国13地裁で争われている集団訴訟のトップを切って、大阪地裁(西川知一郎裁判長)は2006年5月12日、近畿の原告13人のうち第1次提訴の9人全員の申し立てを認めた判決を言い渡しました。

その瞬間

 「やったー」「よっしゃあ!」「ばんざーい!」5月12日午後2時過ぎ、「全面勝訴」「国の認定制度を批判」の文字を掲げた弁護士が走り出てくると、大阪地裁の門前で待っていた被爆者・支援者たちから歓声がわき上がりました。抱き合って涙を流す支援者たち。傍聴者たちに囲まれながら法廷から退出してきた原告は、大きな拍手に包まれました。

「全面勝訴」の文字を掲げた弁護士と、両手を挙げて喜ぶ被爆者・支援者ら。
大阪地裁で勝利判決が出た瞬間(5月12日午後2時過ぎ)

何が画期的なのか

 近畿弁護団幹事長の尾藤廣喜弁護士は、判決のポイントをこう説明します。
 「入市や3キロ以遠の被爆者も認定の対象として広く認めたこと。残留放射線や放射性降下物による内部被曝にふれ、被爆者の置かれた状況を総合的に判断せよと明言していることです」
 判決は、「DS86/02」や「原因確率」にのみ依存している厚労省の認定基準と、その機械的な運用をはっきり批判しました。「原因確率」によれば全員が10%未満という原告9人すべての却下処分を取り消した意義は、はかりしれません。
 原告のひとり、小高美代子さん(広島被爆)は、「私一人のことではないという思いで裁判に参加しました。二度と原爆を使わせてはいけない。ふたたび戦争をしてはいけない。それを死ぬまで訴えていきたい」と、喜びのなかにもたたかいの決意を述べていました。

「控訴するな」と厚労省前で 東友会・おりづるネットなどただちに行動

 「国は大阪地裁判決を受け入れ、控訴するな」の運動は、判決の出た2006年5月12日の有楽町マリオン前と厚生労働省前の行動を皮切りに、毎日午後8時に開かれる「控訴するな」連絡会の企画会議で検討しながら、連日続けられました。
 15日は大阪から上京した2人の原告を迎えて国会議員要請と院内集会、および厚労省要請。17日は東京地裁の原爆症集団訴訟第19回口頭弁論の傍聴行動にあわせて厚労省前要請行動と報告集会が。18日、19日は雨天をついて厚労省前の昼休み行動、20日と21日の週末は地元選出の国会議員への要請、22日からは座り込み行動と、控訴期限の26日まで続いています。

「全面勝訴」の文字を掲げた被爆者と、宣伝行動参加者ら。
有楽町マリオン前で宣伝行動(12日夕)

国は大阪地裁判決を受け入れ、控訴するな!
22、23日には全国から厚労省へ

 大阪判決のニュースは、当日のテレビのニュースや翌日の新聞各紙の1面トップで大きく報道され、制度の抜本的改正の必要性が多くの新聞社説で掲げられました。
 しかし厚労省は、「係争中なので、いっさい会わない」と、15日に大阪から上京した原告の木村民子さん、佐伯俊昭さんの面会を拒否し続けました。
 このため国会要請行動と院内集会の後、午後4時から緊急に厚労省前で街頭行動をおこないました。この力と高見澤昭治、尾藤弁護士の強力な働きかけで、ついに厚労省側は会議室を用意して要請文を受け取ることにし、参加者全員が省内に入ることができました。
 17日からは、厚労省前での「控訴するな」昼休み街頭要請行動がはじまりました。東京地裁での原爆症集団訴訟第19回口頭弁論の傍聴の日ともなった17日の行動には、原告8人と東京と近畿の弁護団、支援者など90人が参加。18日には東友会と「おりづるネット」を中心に20人、19日は27人が参加した厚労省前街頭行動が、雨天をついておこなわれました。
 これらの行動では、毎日、全国支援ネットと「東京おりづるネット」が作成した新しいビラが配布され、22日と23日は、全国から原告や弁護団、支援者が上京して厚労省前座り込みと国会への要請行動がおこなわれました。

判決を報道する新聞各紙
大阪地裁勝訴判決は、全国紙・地方紙など大部分の新聞でトップ記事扱い
横断幕を広げて厚労省に向かって立つ東京の原告をはじめとした被爆者と、向き合ってマイクを使い話している近畿の原告。
厚生労働省前での要請行動
交渉の部屋は満席、立ったままの参加者も。廊下にも人があふれている。
厚生労働省交渉にのぞむ支援者ら
大阪地裁判決で勝訴した9人の原告のみなさん
名前 被爆時の年齢と状況 被爆地 被爆距離 疾病
葛野須耶子さん 15歳
学生
長崎 3.3キロ 甲状腺機能低下症、乳ガン
深谷日出子さん 18歳
看護婦
広島 1.5キロ 右眼球ろう、左白内障、左糖尿病性網膜症、量涙液分泌減少症
木村民子さん 8歳
小学生
広島 2.0キロから2.5キロ 胃ガン
井上正巳さん 14歳
勤労奉仕動員
広島 1.75キロ 皮膚ガン、指神経障害、糖尿病、逆流性食道潰瘍、前立腺肥大、慢性咽頭炎、変形性ひざ関節症
佐伯俊昭さん 12歳
中学生
広島 1.7キロ ケロイド、咽頭ガン
美根アツヱさん 17歳
女子挺身隊
長崎 2.0キロ 肺ガンおよび転移性能腫瘍
小高美代子さん 20歳
妊娠5ヶ月
広島 1.8キロ 貧血、変形性ひざ関節症、変形性脊椎症、甲状腺機能低下症、ぜんそく
甲斐常一さん 20歳
陸軍衛生兵
広島 入市 椎骨脳底動脈循環不全(原爆ぶらぶら病)、脳梗塞後遺症、高血圧症、白内障、白血球減少症
川崎壽紀さん 19歳
陸軍船舶練習部
広島 入市 貧血、動脈硬化性疾患等