在外被爆者裁判 最高裁で苦しい実情訴える
最高裁第3小法廷で2006年4月4日、在外被爆者裁判での口頭弁論がありました。一つは、長崎の広瀬方人さんが、中国の大学に日本語教師として赴任した1994年9月から1995年6月までの10か月間の健康管理手当が「外国に行っていたから」と打ち切られ、1999年9月に支払いを求めて起こした裁判。長崎地裁は2003年3月、「厚生省の局長通達で支給の道を閉ざしたのは職権の乱用」といって支給を認めました。ところが福岡高裁は2004年2月、「請求の時期が5年を過ぎているから時効」として請求を却下。このため広瀬さんが上告していたものです。
もう一つは、韓国人被爆者・李康寧さんの健康管理手当の支給責任をめぐる裁判。国・厚生労働省は、手当の支給権限や事務は自治体にあると主張しましたが、福岡高裁は「責任は国にある」と判断。このため国側が上告していたものです。
傍聴には、韓国被爆者協会の朴榮杓会長、ブラジルの森田隆会長、アメリカの友沢光男さんらが駆けつけ、日本被団協と東友会からも7人が参加しました。
判決は両裁判とも6月13日午前10時30分から。傍聴席は44人分しかなく、抽選になります。
「議員懇」で切実な訴え
2006年4月5日、国会議員会館で「原爆被爆者に援護法適用めざす国会議員懇談会」が開かれました。
ここには厚生労働省の石井信芳課長らが呼ばれて出席。韓国被爆者からは、「医療費が助成になったのはいいが、上限13万円では安心して医者にかかれない」、ブラジルとアメリカの被爆者からは「医療保険に入らないと医療が受けられないが、保険金が払えない被爆者が多い」など、苦しい実情が訴えられ、政府の対策改善が求められました。