被爆者相談所および法人事務所
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ノーモア・ヒバクシャ訴訟 ずさんな原爆症認定審査が浮き彫りに

母の遺志を継いだ娘が証言 ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟(第1次訴訟)

 ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟の審理を担当している東京地裁民事第2部の裁判長と裁判官が交代したため、新しい裁判官に訴訟の基本を知ってもらうための「更新弁論」が2014年4月22日、東京地裁の103号法廷でおこなわれ、70人が傍聴しました。
 この日、原告本人尋問に立ったのは、亡くなった原告・三浦マサさん(当時77歳)の娘・大村まりなさん。お母さんが乳ガン手術後の後遺障害で苦しんでいたこと、葛飾の被爆者の会で熱心に活躍していたこと、当初は理解してくれなかったお父さんが、子ども3人が裁判を引き継ぐことに同意してくれたことなどを、涙しながら陳述しました。
 つづいて、内田耕司弁護士が、残留放射線の影響を否定しつづける被告・厚生労働省側の主張の誤り、科学的知見なるものの非科学性を突く弁論をしました。最後に福島晃弁護士が、「原爆症認定訴訟の到達点と大阪地裁・熊本地裁判決の意義」について話し、「被爆の実相を踏まえた判決を」と要請して弁論を結びました。
 報告集会では大村さんを励ます声が多く出されました。

被告側席のうしろから、証言台・原告側席・裁判官や記録者の席が奥行きを持って描かれている。原告側席では弁護士が立って質問し、証言台に立つ大村まりなさんがそれに答えている場面
4月22日、東京地裁での更新弁論の場面(スケッチ:石飛公也)

国の審査にずさんさあった 岡山地裁が国家賠償を認める判決

 岡山地裁は2014年4月23日、前立腺ガンなどで原爆症認定を求めていた72歳の男性について、国の審査がずさんであったことを認め、国に損害賠償を命じる判決をしました。男性は長崎で3歳の時被爆、母親に連れられて爆心から400メートル地点で働いていた父と兄を捜しに原爆投下日の8月9日から約10日間入市したもの。このとき同行者2人から「入市証明書」をもらっていました。国はこれを見落としていたものです。
 東友会は、日本被団協、原告団、弁護団とともに23日と30日、厚生労働省に控訴断念と原告への謝罪を要求。記者会見を開き、国のずさんな審理の実態とその責任を追及することを明らかにしました。
 これに関連して、小池晃参院議員(日本共産党)が5月8日、参院厚生労働委員会で謝罪を要求する質問をしました。
 国は控訴を断念、判決は確定しました。国が、ずさんな審査で賠償責任を問われた意義は大きく、審査のあり方が根本的に問い直されています。

会議室で、両手をあげて喜ぶ東友会の役員や事務局員、ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟の弁護士たち
岡山地裁勝訴の報に喜ぶ
長方形に並べられた机に着席する、会見を行う側と記者があわせて20人ほど。一人が紙を持って立っている。
岡山判決の意義を記者会見

がん治療の結果起こった腎不全も認める 大阪地裁でも原告全員が勝利

 大阪地裁は5月9日、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告全員(2人)について、原爆症認定を命じる判決をしました。原爆症認定訴訟では33回目の原告勝利判決となりました。原告は2人ともすでに亡くなっており、認定申請から判決までに6年もかかったことで、先の岡山判決のずさんな審理に続き、厚生労働省の放置責任がきびしく問われます。
 原告の梶川一雄さんは22歳のとき広島暁部隊の兵舎で被爆。救護、看護活動をしました。心筋梗塞で申請、勝訴しました。原告の榎本寛さんは21歳のとき長崎三菱造船所で被爆。腎臓がんで申請しました。判決は、がんは治癒したが治療の結果発症した腎不全を原爆症と認定しました。これでノーモア・ヒバクシャ訴訟原告109人のうち21人が勝訴したことになります。