被爆者相談所および法人事務所
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2017年平和行進が出発 核兵器禁止条約の実現を

ヒバクシャ国際署名を広げよう

 2017年5月6日、江東・夢の島公園の第五福竜丸前から8月の広島に向けて、「2017年原水爆禁止国民平和大行進」(同実行委員会主催)が出発しました。第五福竜丸展示館前でおこなわれた出発集会には700人が参加。日本被団協の田中煕巳事務局長があいさつし、東友会からは地元の江東区をはじめ江戸川区、中野区、練馬区、立川市の5地区から9人が参加して、家島昌志執行理事があいさしました。
 この中で家島さんは、国連で交渉がおこなわれている核兵器禁止条約に日本政府が反対していることを批判。アメリカなど核保有国の顔色をうかがうのではなく、「被爆国の政府なら、率先して核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と訴えました。そして、核兵器禁止条約を実現させるためにも、「ヒバクシャ国際署名で国内外の反核世論を広げよう」と呼びかけました。行進は、木場、門前仲町を経て永代橋を渡り、東京駅八重洲口から外堀通りに入って銀座に向かいました。

第五福竜丸展示館前、たすきを掛けた被爆者たちが並び、マイクを使ってあいさつをしている。一人は東友会の大きい旗を掲げている。
出発集会で旗を掲げて挨拶する東友会の参加者たち
「国民平和大行進」の横断幕を先頭に進む行進、横断幕のすぐ後ろに東友会の旗を持つ人がおり、旗は風になびいている。
「原爆許すまじ」の旗をなびかせ

夕刻の銀座で 被爆者アピール行進

 有楽町付近で、さらに港区、大田区、墨田区、世田谷区、葛飾区、武蔵野市の被爆者が加わり、17人の被爆者の一団が「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」と書かれた東友会の旗を交代で持ち、行進の先頭に立って沿道の人たちにアピールしながら行進しました。
 「被爆者は高齢になったが、ヒロシマ・ナガサキをくり返させないために、被爆体験を語り、今日も行進に参加しています。一日も早く核兵器廃絶を実現するために、ヒバクシャ国際署名に協力してください」との声が銀座のビル街に響きました。沿道では、被爆者の話に耳を傾ける人たち、手を振って声援を送ってくれる人があり、スマートフォンや携帯電話で写真を撮る人の姿も目立ちました。被爆者を先頭にした銀座アピール行進は、新橋まで続きました。その後、オフィス街を通り、港区の芝公園・平和の灯前で1日目の行進を終えました。

たすきを掛けて歩く被爆者とそのほかの参加者
手を振りながら銀座の街を行く

2日目も奮闘 神奈川県に引き継ぎ

 翌7日は、芝公園・平和の灯前から出発。この日は港区、大田区、江東区、国分寺市の被爆者・被爆二世の6人が参加。港、品川、大田の市街を通過し、六郷橋を渡って神奈川県川崎市に入り、稲毛公園で神奈川県に引き継ぎました。引き継ぎ式では、東友会を代表して石飛公也理事があいさつ。神奈川県原爆被災者の会にバトンを渡しました。平和行進は、広島・平和公園に8月4日の到着を目指して進みます。

たすきを掛けた被爆者が挨拶をしている場面。広島まで歩く「通し行進者」や横断幕を持つ人たち、東友会の旗、参加した各団体ののぼりが写っている。
川崎市役所前での引き継ぎ式

平和行進とは

 この平和行進は、1958年に一人の青年が原水爆禁止を訴えて広島から東京に向けて歩き出したのが最初です。日を経るごとにいっしょに歩く人が増え、東京到着時には数万人の行進に。のべ参加者は100万人にもなったといわれています。以来、毎年平和行進がおこなわれるようになり、コースも増えて日本全国を歩いています。
 2017年の平和行進のテーマで特徴的なのは、核兵器禁止条約の結実とそのためのヒバクシャ国際署名の推進。国や民族の違いをこえて、市民の国際連帯が求められています。その一環として、米タフツ大学1年のケイラ・ウォーリーさん(19歳)が、東京―静岡間を国際青年リレー行進者として歩いています