被爆者の願い

【写真】都内、体育館にて
中学校で証言する被爆者

 「私たちのような被爆者をつくらないでください」という願いをこめて、被爆者は各地で広島・長崎の「あの日」の有様とその後の人生を証言しています。

 被爆者が受けた原爆の傷は、「あの日」で終わった傷ではありませんでした。目に見えない恐ろしい放射線は、その後も人間の体を内部からむしばみ、からだ・くらし・こころまでも苦しめ続けています。
 被爆した家族がつぎつぎに死んでいくのを見て、次は自分の番かと、おののかねばならなかった被爆者。就職、結婚、わが子の出産にも人知れず不安を抱かねばならなかった被爆者。そのうえ占領下における原爆報道の弾圧や、被爆者放置の政治状況で、いわれのない社会的差別を受け、あの日の事実を訴えることはもちろん、被爆者だと名乗ることさえ恐れねばなりませんでした。
 被爆者は、思い出したくない、忘れたい、隠したい、話したくない、できることなら原爆と関係なく戦後を生きたかったのです。しかし、原爆は否応もなく体に入り込んでいて、忘れることも逃げることもできませんでした。被爆者は、「体と心の中の原爆とたたかう」ことでしか生きようがありませんでした。
 核兵器廃絶と平和を願う多くのみなさんが耳を傾けてくださったからこそ、被爆者は人間として、人類平和のために誇りを持って証言できるようになったのです。

「つたえようヒロシマ・ナガサキ 東京原爆展実行委員会」1998年編集・発行の「体と心の中の原爆とたたかい」あとがきより

 東京の被爆者の平均年齢が80歳になろうとしています。被爆体験を記憶している世代の被爆者は80歳を超えています。ぜひ、被爆者の証言をお読みください。

 被爆者自身の証言に加え、NPT再検討会議への要請団に参加した被爆二世や東友会相談員の、被爆者の願いをうけついだうったえも掲載します。

 被爆者は、つぎのような運動を、力を合わせてすすめています。「事業・とりくみも、証言と合わせてお読みください。