東数男原爆裁判
控訴審第1回口頭弁論 高見澤昭治弁護士の意見陳述
(1) 控訴審での審理を始めるにあたり、裁判所に特にご配慮いただきたいことを、以下、申し述べます。
(2) 傍聴席を埋め尽くした傍聴人は、若い人を除いて殆どが被爆者です。ところが、残念ながら被控訴人本人は出廷しておりません。
後ほど、相代理人の方から被控訴人の病状について詳しく申し上げますが、原爆症に苛まれながら一審裁判を必死で頑張り、本件原爆症認定申請からようやく10年目に東京地裁で勝訴判決を得た東数男さんは、勝訴判決の喜びもつかの間、厚生労働大臣の本件控訴によって、心身ともに打ちのめされ、本件申請疾病も最近、さらに新たな段階に悪化し、病床に臥せっており、とても外出できる状態ではありません。
正直申し上げて、いつ最悪の事態を迎えるかも知れない状況にあり、審理を長く続ける時間的余裕は全くありません。裁判所にはそのことをまず、最初にご配慮いただきたいと思います。
(3) ご存知のとおり、いわゆる原爆症認定訴訟は、4年前の平成12年7月に下された最高裁での、いわゆる松谷判決以下、広島における石田訴訟、京都における小西訴訟、それと東京での本件東訴訟において、広島地裁、長崎地裁、福岡高裁、京都地裁、大阪高裁、最高裁、東京地裁と、被爆者が7つの勝訴判決を得ております。
当時の厚生大臣、現在の厚生労働大臣は、それらの裁判で誤った原爆症認定行政を裁判所から厳しく指摘されながら、原爆症に苦しむ本人や全ての被爆者の祈るような願いを無視して、非情にも上訴を繰り返し、本件でまた同じ誤りを繰り返しているのであります。
裁判所によく理解していただきたいのは、そのいずれの裁判においても、行政側は、人間の全身を襲った人類最初の放射線の影響を過小評価し、被爆者が被爆以来、現に苦しんでいるさまざまな身体症状に目を向けず、あたかも放射線の人体への影響は解明尽くされたかのよう幻想を撒き散らし、いたずらに不毛な科学論争を法廷に持ち込み、被爆者を2重、3重に苦しめているということであります。
(4) そうした行政側の性懲りもなく繰り返す非人間的な、被爆者の気持ちを代弁していうならば、まさに犯罪的な訴訟戦略に絶対に惑わされてはならない。原爆症に関していえば、いまだ科学で説明できないことが被爆者を次々と襲っているのが実態であります。
先日もNHKテレビで、ビキニ水爆実験における第五福竜丸の乗組員がC型肝炎や肝機能障害で次々と亡くなっている事実を特集で報じていましたが、原子力発電所周辺における住民や被曝労働者、それに今日使われている劣化ウラン弾の放射線にさらされたイラク住民や米軍の兵士に現れているさまざまな症状は、厚生労働大臣の科学的見解によれば現実にはありえないことになります。
当東京高等裁判所におかれても、最高裁松谷判決はじめ、これまでの裁判所と同じように、行政側の科学性を装った、放射線の影響を軽視し、被爆者を日夜苦しめる症状を他の原因に帰せしめる、謬論を退け、実態に即した、後世の科学的検証に耐えるような判断を是非ともしていただきたい。
(5) 原審の裁判所は、この点について、次のような判断を示しております。
原判決132ページから133ページに記載されておりますが、原判決の中でも最も重要な判断部分であると考えますので、読み上げさせていただきます。
「原子爆弾による被害は未曾有のものであり、他に例を見ない凄惨なものであって、多くの被爆者は、莫大な量の初期放射線を全身に被爆したことに加え、残留放射能を被曝しており、その後も放射線による後障害の不安を抱き続けるという、極めて特異かつ苛酷な状況に置かれているものである。そのため、原爆放射線の身体に対する影響の有無を検討、判断するに当たっても、被曝した特定の部位に現れる影響にとどまることなく、身体に対する全体的、総合的な影響を把握し、理解していくことが相当である。
そして、人間の身体に疾病が生じた場合、その発症に至る経過においては、多くの要因は複合的に関連していることが通常であり、特定の要因から当該疾病の発症に至った機序を立証することにはおのずから困難が伴うものであり、殊に、原爆放射線による後障害の場合には、個々の症例を観察する限り放射線に特異な症状を呈しているわけではなく、一般にみられる症状と全く同様の症状を呈するものであって、その症状をもって放射線に起因するか否かを見極めることが不可能であることは、人体影響1992(甲17)の指摘するところである。
一方で、同書も指摘するとおり、一定の被爆集団について観察した場合に、ある特定の疾病がその集団において発生する頻度が高いことがあり、そのような疾病については、放射線に起因している可能性が高いと判断されるところ、放射線後障害については、このように高い統計的解析によってその存在が初めて明らかにされるという特徴が認められるのであって、このことは、ABCC及び放影研の長期間にわたる寿命調査、成人健康調査等の結果、原子爆弾の投下後数十年もの期間を経過した後になって、放射線による被爆とさまざまな疾病との間に有意な関係が認められてきていることも明らかである。
そして、今日においても、放射線の人体に与える影響については、その詳細が科学的に解明されているとはいい難い段階にあり、また、原子爆弾被爆者の被爆放射線量についても、その評価は推定により行うほかないのであって、放射線起因性の検討、判断の基礎となる科学的知見や経験則は、いまだ限られたものにとどまっている状況にあるといわざるを得ない。
以上のような事情の下においては、原告の肝機能障害が放射線起因性を有するか否かを判断するに当たって、原告が原爆放射線を被曝したことによって上記疾病が発生するに至った医学的、病理学的機序についての証明の有無を直接検討するのではなく、放射線被曝による人体への影響に関する統計的、疫学的な知見を踏まえつつ、原告の被爆状況、被爆後の行動やその後の生活状況、原告の具体的状況や発症に至る経緯、健康診断や検診の結果を全体的、総合的に考慮したうえで、原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発症を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを検討することが相当である」
(6) 少し長くなりましたが、このような理解こそが、放射線の人体への影響についての、現在の科学の正確な到達点であり、原審での原・被告の提出したおびただしい文献や証人尋問を尽くした結果得られた、当然とはいえ、司法の見識であることを、当裁判所でもご理解いただきたいと考えます。
(7) ところが、このたび厚生労働大臣が提出した控訴理由書を見ますと、次のような主張が述べられております(控訴理由書12ページ、13ページ)。
「放射線起因性とは、原爆症認定申請者の被爆と申請疾患との間の個別的因果関係の存否であり、疾病発生原因を究明するに当たっては、原子物理学、放射線学、疫学、病理学、臨床医学等の高度の専門的な科学・医学的知見によらなければならず、これらの知見が放射線起因性の判断に際し、経験則として重要な地位を占めるものである。放射線起因性の判断は、科学・医学的知見を離れて行うことは出来ないものであって、その判断には素人的、あるいは被爆者を保護すべきであるという価値判断を入れたものであってはならない」。
(8) この主張は、どこかで読んだ覚えがあると思い調べてところ、実に松谷原爆訴訟における当時の厚生大臣の最高裁に宛てた上告理由書に、ほとんど同じ言葉が使われていることが分かりました。
すなわち、上告理由書には
「ところで、本件における事実的因果関係の証明は、その内容がそもそも科学的・医学的知見によらなければ証明することができない事柄である以上、科学的・医学的知見を離れて、素人的、あるいは被害者を保護すべきであるといった価値判断をいれたものであってはならず、科学的・医学的知見を総合して、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信をもち得るものであることを必要とする」
と主張されております。
まさに書き写したのではないかと思えるほど、同じ主張が展開していることがご理解いただけると思います。一貫性があるといえばそのとおりですが、こうした考え方に立った上告理由が松谷訴訟で完全に最高裁によって退けられ、上告が棄却されたことを厚生労働大臣は無視しているのであります。行政が司法の判断をないがしろにし、わが国の被爆者行政が、被爆者を苦しめ続ける、まさに犯罪的といわざるを得ないことについて、これほど明白な証拠はないと言って過言ではないと考えます。
(9) ちなみに、最高裁松谷判決の直後に、大阪高等裁判所は小西訴訟の判決の中で、最高裁のいう「高度の蓋然性」の内容について、次のように判示しております。
「疾病の発症には個体差、生活歴という多数の事象が関与しているので、ある疾病がある特定の原因によって生じた機序を直接証明することは、一般的に困難である。さらに、放射線が身体になんらかの損傷を与えることは明らかだとしても、被曝放射線量と身体の損傷の相関関係は明確なものではなく、長期間経過後にその影響が出てくる可能性もある」
「(放射線被曝により)出現してきた人体影響は個々の症例を観察するかぎり、放射線に特異的な症状をもっているわけではなく、一般にみられる症状とまったく同様の症状をもっており、放射線に起因するか否かの見きわめは不可能である。しかし、被爆集団として考えると、集団中に発生する疾病の頻度が高い場合があり、そのような疾病は放射線に起因している可能性が強いと判断される。このように放射線後障害は高い統計的解析のうえにその存在が明らかにされてくるという特徴がある」
このように判示した大阪高裁の判決について、厚生大臣はこれをそのまま受け入れ、上告しませんでした。その考え方を認めざるをえなかったものと考えざるをえません。なお、同旨の判断は、松谷訴訟の長崎地裁、福岡高裁の判決においても述べられております。
(10) 時間の関係で、これ以上厚生労働大臣の控訴理由について細部にわたって反論することはこの場ではできないので、準備書面にまとめて次回提出したいと思いますが、このように、原判決は、松谷最高裁判決を初めとするこれまでの原爆症認定裁判の判例の流れに沿うものであり、逆に厚生労働大臣の控訴理由はそこで何度も否定された主張の完全な蒸し返しであり、不毛な科学論争に裁判所を引き込もうとするものであることを認識いただくとともに、原判決の認定こそが原爆医療法の立法経過や立法趣旨に合致し、原爆放射線の人体に対する影響に関する科学的水準を踏まえた妥当な判決であるということをご理解いただきたいと思います。
(11) 原爆投下から59回目の8月が、やがて巡ってきます。その瞬間に、広島、長崎で、おびただしい人が亡くなりましたが、かろうじて生き残った被爆者も59年前にこの世の地獄を見て以降、多かれ少なかれ肉体的・精神的な苦痛に苛まれ続け、この間、数多くの方が亡くなりました。そして、今日まで生き延びた被爆者も、老齢を迎え、かなりのものがどう考えても若い日に浴びた放射線の影響としか考えられない共通のさまざまな疾病に苦しんでおります。
被控訴人の東さんは爆心地からわずかに1.3キロの地点で被爆し、典型的な急性症状に見舞われた後、長い苦難の人生を歩んだ末、本件疾病に罹患し、さらに病状を悪化させ、今日に至っております。東さんの被爆に関する事実、原子爆弾による被害は、原判決が認定しているとおりです。
原爆裁判では被爆の実相を見極めることが最も大切と考えますが、当裁判所におかれては、机上の空論に惑わされることなく、1日も早く控訴を棄却し、生き残った全国の被爆者とその家族をはじめ、放射線の人体への影響について高い関心をもつ良心的な医師や科学者、それに法律家などが納得のできる判決を下され、高齢を迎えた全国の被爆者が、余生を安心して暮らせる被爆者行政の実現に力を貸していただくよう切望します。
そのことを申し上げて、控訴審での冒頭での意見陳述とさせていただきます。