東数男原爆裁判 東さん逝去にあたって声明を発表
東原爆裁判の原告・東数男さんが亡くなられました。東友会は日本被団協・東さんの弁護団と連名で以下の声明を発表しました。
東原爆裁判の原告・東数男さんの逝去にあたって
2005年1月29日
- 日本原水爆被害者団体協議会
- 東京都原爆被害者団体協議会
- 東数男原爆訴訟弁護団
東原爆裁判の原告・東数男さんが、1月29日午後1時18分、都内の病院で逝去されました。享年76歳。死因は、肝不全でした。国の非情な原爆被爆者対策の犠牲となって、東さんはついに自分の病を原爆症と認定されないまま、無念の死を迎えたのでした。私たちは、東さんの死に深く哀悼を捧げるとともに、東さんを死に追いやった戦争と原爆と、国の被爆者行政をきびしく糾弾します。
東さんは1945年8月9日、長崎で、爆心から1.3キロメートルの三菱兵器大橋工場で、原爆によって、瀕死の重傷を受けました。避難した大村海軍病院で、放射線の急性症状が発症、死線をさまよいました。ようやく一命をとりとめましたが、1981年ごろ肝機能障害と診断され、入退院を繰り返すようになりました。1994年に原爆症認定を申請しましたが、翌年、東さんの肝炎はC型肝炎ウイルスによるもので、原爆放射線と関係ないとして却下されました。
このため東さんは、1999年に東京地裁に提訴したのです。東さんは肺ガンにもかかり、2000年には手術を受けました。東京地裁では21回の審理を重ね、昨2004年3月31日、東さん全面勝利の判決を勝ちとりました。判決の日に東さんは、「59年間、被爆者として苦しんできたことが認められてうれしい」とのべ、「体はボロボロ。国は絶対に控訴しないでほしい」と訴えました。
しかし、厚生労働省は非情にも控訴しました。厚生労働省の控訴理由は、1審判決が退けた、被爆の実態を無視した非科学的な主張の蒸し返しにすぎませんでした。弁護団は、東さんの健康が急速に悪化していることから、判決を急ぐよう裁判所に要請しました。控訴審は3回の審理を経て、2004年12月24日結審し、判決日は2005年3月29日と決定しました。その矢先の逝去でした。東さんの肝機能障害は、肝ガンに進行していました。昨年の東京地裁判決で確定していたら、東さんは長年苦しんできた肝機能障害での認定を勝ちとって、悲願を果たしたはずでした。
私たちは、東さんの死をむだにしないために、3月29日の東さんの裁判の判決で勝利することと、いま全国で165人、東京で30人が提訴している原爆症認定集団訴訟で全面勝利するため、全力を挙げることを誓います。