東数男原爆裁判
国に上告を断念させた連日行動 勝利判決日前後1カ月間の記録
国は被爆者の訴えに背を向けるな 被爆者、弁護士、支援者らが全力
2005年3月29日、「完全勝訴」を受けて弁護士が、「上告理由はないが、政治的に必要なら、無理矢理にでも理屈をつけてくる」と言うと、「上告は絶対に許せない」と被爆者。「みんなの力で抑えよう」と「おりづるネット」の役員。3月30日から上告期限の4月12日までの2週間、「東裁判を上告するな」の多様な行動が展開されました。
厚生労働省前では、昼休み要請行動が連日続きました。10日間となった行動の「皆勤賞」は、集団訴訟の原告を姉に持つ田崎アイ子さん(港区)と江戸川親江会の地区裁判推進委員の楢木実さん。のべ233人にのぼった参加者は、集団訴訟の原告や被爆者、弁護士、医療関係者、平和団体や労組の人びと。国会議員も応援にかけつけました。
「毎日行動をするなら、厚労省職員に、日替わりビラを配ろう」と、東友会は連日、深夜まで大奮闘。毎日、新しいビラが配られていることがわかると、自分から手を出して受け取る人や、「これ裏が白紙だから替えて」という人も。10日間で10種類、計6300枚のビラが配られました。
厚労大臣の面会へ 国会議員から働きかけ
「国会からも働きかけてもらおう」と弁護団と東友会・日本被団協は、判決前の3月23日から政党や議員への要請をはじめました。4月6日に尾辻秀久厚生労働大臣と妻・朝子さんとの面会を実現させたのは、国会議員の働きかけでした。
この日は、全国の被爆者代表と全国各地の集団訴訟弁護団の代表も参加して、緊急厚労省交渉もおこないました。
「地元の議員には地元から要請しよう」と、弁護団の要請に応えた4月5日の東友会の緊急国会行動では与党の国会議員に声をかけて要請。7日にも首都圏の被爆者が参加して厚生労働委員の衆参両院議員や政党への要請がおこなわれました。
しかし厚労省は、「関係省庁と協議中」とくり返すだけ。いっこうに態度を明らかにしません。このため上告期限を翌日にひかえた11日に東友会と「おりづるネット」は、「上告を許さない緊急行動」をよびかけました。
上告断念へ 大詰めの活動
ところがこの日の早朝、地震で中断されたNHKのニュースの一部を聞いて「国が上告断念を決めた」と思った被爆者や支援者からの電話が殺到しました。しかし、この日の昼も厚労省は「関係省庁と協議中」の回答。「緊急集会」の参加者は、「最後まで気を抜かないで、12日の厚労省前行動もがんばろう」と確認し散会しました。
この集会の直後、「国会の委員会が終了した後、上告断念の記者発表がある」との情報が弁護団に届き、午後6時半に国側の上告断念の文書が記者に配られました。
判決確定! 認定の抜本的改善を
上告期限日だった12日、弁護団と東友会、「おりづるネット」は、「被爆者が生きているうちに原爆症認定制度を改善せよ」と訴え、厚生労働省前で最後の昼休み要請行動をおこないました。