被爆者相談所および法人事務所
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あずま数男かずお原爆裁判 判決要旨

第1 主文

1. 厚生大臣が平成7年11月9日付けで原告に対してした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項所定の認定の申請を却下する旨の処分を取り消す。
2. 訴訟費用は被告の負担とする。

第2 原告の請求

主文同旨

第3 事案の概要及び争点

1 事案の概要

 昭和20年8月9日午前11時2分、学徒動員により就業中の長崎市内の三菱重工業株式会社長崎兵器製作所大橋工場において、爆心地から約1.3キロメートルの地点で原子爆弾に被爆した原告(当時16歳)は、昭和56年ないし昭和59年ころから肝機能障害を指摘され、平成4年以降入院ないし通院による治療を受けてきたが、平成6年2月16日、当時の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)に基づき、かかる肝機能障害は原子爆弾の放射線に起因するものであるとの認定の申請を行った。その後、平成7年7月1日、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)が施行され、原爆医療法が廃止され、同法に基づく上記の認定申請は、被爆者援護法11条所定の認定の申請とみなされることとなったが、厚生大臣は、同年11月9日、原告の上記申請について、原告の肝機能障害は原子爆弾の放射線に起因するものとは認められず、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているとも認められないとして、申請を却下する旨の処分(本件処分)をした。
 本件は、原告がこれを不服として、本件処分の取消しを求めた事案である。

 なお、被爆者援護法10条1項によれば、厚生大臣(当時)は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行うものとされているが、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限り、必要な医療の給付を行うものとされている。また、同法11条1項によれば、医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定(原爆症認定)を受けなければならないとされている。

2 争点

 本件の争点は、「本件認定申請に係る原告の肝機能障害が、原爆放射線に起因するもの、又は、原告の治癒能カが原爆放射線の影響を受けているため現に医療を要する状態にあるものと認められるか否か」である。

第4 裁判所の判断

1 行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は、特別の定めがない限り、通常の民事訴訟における場合と異なるものではなく、その立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである(最高裁判所平成12年7月8日第三小法廷判決)ところ、放射線起因性の要件を定めた被爆者援護法10条1項の規定は、その文言に照らせば、放射線と負傷又は疾病ないしは治癒能力の低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解すべきである。
 しかしながら、原子爆弾による被害は未曾有の、他に例を見ない凄惨なものであって、多くの被爆者は、莫大な量の初期放射線を全身に被曝したことに加え、残留放射能を被曝しており、その後も放射線による後障害の不安を抱き続けるという、極めて特異かつ苛酷な状況に置かれているものであることに鑑みれば、原爆放射線の身体に対する影響の有無を検討、判断するに当たっては、被曝した特定の部位に現れる影響にとどまることなく、身体に対する全体的、総合的な影響を把握し、理解していくことが相当である。そして、原爆放射線による後障害については、個々の症例を観察する限り放射線に特異な症状を呈しているわけではなく、その症状をもって放射線に起因するか否かを見極めることが不可能なこと、一定の被曝集団についてある特定の疾病が発生する頻度が高いという統計的解析によって、その存在が初めて明らかにされるという特徴が認められること、今日においても、放射線起因性の検討、判断の基準となる科学的知見や経験則は限られたものにとどまっていること等の事情が認められるから、原告の肝機能障害が放射線起因性を有するか否かを判断するに当たっては、放射線被曝による人体への影響に関する統計的、疫学的な知見を踏まえつつ、原告の被爆状況、被爆後の行動やその後の生活状況、原告の具体的症状、発症に至る経緯、健康診断や検診の結果等を全体的、総合的に考慮したうえで、原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを検討することが相当である。

2 原告は、爆心地から約1.3キロメートルという至近距離において、ガラス窓に背を向けて上半身裸のまま腰掛けた状態で原子爆弾に被爆し、大量の初期放射線に被曝したうえに、その後も被爆した地点の周辺にとどまったことにより誘導放射線を被曝しており、放射性降下物等の放射性物質が含まれていた可能性もある川の水を大量に飲んだことなどによる内部被曝の影響も免れないものと推測される。
 また、原告は、被爆後2週間程度経過したころから、脱毛、血性の下痢等の原爆放射線による急性障害を発症しており、免疫機能が少なくとも一定期間低下するなど、原爆放射線によって相当期間に及ぶ重大な身体への影響を被ったことが認められ、このような原告に生じた健康被害については、被爆後長期間を経過した後に発生したものであっても、一応原子爆弾による被爆との関係を考えることが相当というべきである。
 そして、原告の肝臓に関する症状及び血液検査の結果などによれば、本件認定申請に係る原告の肝機能障害はC型慢性肝炎であると認められるところ、我が国の場合、慢性肝炎はウイルス性の場合が圧倒的に多く、そのうちC型慢性肝炎の割合が約7割程度に及んでおり、肝硬変患者の約5割にC型肝炎ウイルス(HCV)感染が認められ、肝細胞がんをはじめとする肝臓がんの患者に占めるHCV感染者の割合が過半数に及ぶなど、慢性肝炎、肝硬変及び肝臓がんの患者において、HCV感染に起因する者が相当の割合を占めていることが認められる。
 一方、原子爆弾の被爆者には高い頻度で肝障害が認められていたところ、原爆傷害調査委員会(ABCC)及び財団法人放射線影響研究所による原子爆弾の後障害に関する長期的な調査等の結果、1990年代に至り、ワンほか「原子爆弾被爆者における非癌性疾患発生率:1958-1986」、トンプソンほか「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍、1958-1987年」等の論文によって、慢性肝疾患、肝硬変及び肝臓がんの発症と放射線の被曝線量との間にそれぞれ有意な関係が認められたことから、慢性肝疾患、肝硬変及び肝臓がんの発症者の中に大きな割合を占めるHCVの持続感染及びその進行によるC型慢性肝炎の発症に原爆放射線の被曝が影響している可能性があるとみることができ、さらに、これらの知見を踏まえて、放射線とC型慢性肝炎の関係について研究が進められた結果、HCV抗体陽性者において、放射線量の増加に伴って慢性肝疾患の有病率が増加し、慢性肝疾患の有病率が、HCV抗体陰性の被爆者よりも陽性の被爆者において放射線量に伴い大きく増加することが窺われ、放射線被曝がC型慢性肝炎に関連した慢性肝疾患の発症や進行を促進した可能性が指摘されるに至っている。

3 これに対し、被告は、肝機能障害が放射線の確定的影響(一定の被曝線量を浴びることにより生じる影響)に属するものとしたうえで、原爆放射線量評価方式であるDS86に基づいて、原告の推定被曝線量は130ラドを超えないとする一方、肝機能障害のしきい値(症状出現のため必要とされる線量)は1000ラドであるから、原告の肝機能障害が放射線に起因するものとはいえないと主張するが、原告の肝機能障害が原爆放射線の確定的影響ではなく確率的影響(被曝線量の増大により発症の確率が高くなる影響で、しきい値はないとされる。)として主張されているものであることなどに照らせば、DS86等に基づく推定線量としきい値とを適用した結果、原告の肝機能障害が原爆放射線の確定的影響であることが否定されたとしても、直ちに本件における原告の主張が排斥されるわけではない。
 また、被告は、原爆放射線による被曝の場合、慢性肝炎の発症に必要な肝細胞障害因子が持続的に存在し得ず、原爆放射線により慢性肝炎が起こることはあり得ない旨主張するが、放射能による遺伝子への影響や生物効果に関する知見に照らせば、そのように断言することはできないし、原告のC型慢性肝炎が被曝による免疫能力の低下に起因するものではないとする被告の主張についても、原爆放射線の人体に与える影響について、その詳細が科学的に解明されているとはいい難い段階にある現在の状況の下において、被告が主張する事実をもって、被曝による免疫能力の低下がC型慢性肝炎を発症、促進させたものと推測することの合理性を否定することはできないというべきである。

4 以上のとおり、原爆放射線の人体に対する影響、放射線による肝機能障害の発症及び促進等に関する科学的知見及び経験則は、いまだ限られたものにとどまっている状況にあり、放射線被曝による人体への影響に関する統計的、疫学的な知見は、長期的な調査の結果、近年に至ってようやく得られつつあるところであって、このようなことを踏まえたうえで、原告の本件認定申請時における肝機能障害に関する症状及び血液検査の結果と、原告の被爆時の状況、爆心地からの距離、被爆後における行動等から窺われる原告の放射能被曝の重大性、被爆直後における急性障害の症状の内容及び程度、現在に至るまでの健康状態等とを、現時点における上記の科学的知見及び経験則に照らして全体的、総合的に判断すれば、原告の肝機能障害については、原告が爆心地から至近の地点において多大な原爆放射線に被曝したことが、HCVの感染とともに慢性肝炎を発症又は進行させるに至った起因となっているものと認めるのが相当である。
 そして、原告が肝機能障害により現に医療を要する状態にあることについて、被告は明らかに争わないものと認められる。
 したがって、原告の肝機能障害については、原爆症認定の要件を具備するものであることが認められるから、本件処分は取り消されるべきである。

以上