原爆症認定集団訴訟 東京地裁結審 原告が命を削るような最終陳述
国・厚労省は一言も発言せず
2003年5月から3年間、東京地方裁判所でつづいてきた東京の「原爆症認定集団訴訟」が2006年7月12日、結審(弁論を終えあとは判決を待つ状態)となりました。96席ある103号法廷の傍聴席は満席。入廷できない人のため交代制となりました。40席用意された弁護団席、原告席も満席でした。
最終弁論は、4つのパートでおこなわれました。第1パート「被爆の実相と原爆被害の特徴」では小海範亮弁護士と、原告の片山文枝さんと中山勇栄さんが陳述。片山さんは「原爆は私たちの人生を奪った。娘と私の苦しみがなぜ存在するのかを伝えなければならない」ときっぱりと陳述しました。
第2パート「原告らが被った健康被害と原爆症認定の必要性」では、中川重徳弁護士、原告の齊藤泰子さんと梅園義胤さんが陳述しました。斉藤さんは、車いすで証言台に立ち、「私は末期ガン。余命いくばくもないといわれている。こんな悲惨なことを繰り返さないでください」と訴えました。傍聴席からすすり泣きの声が聞こえてきました。
第3パート「被爆者行政の実態と認定却下処分の違法、不当性」では、與那嶺慧理弁護士と、原告の山本英典さんが陳述しました。山本さんは、「全ての証人尋問、臨床尋問を除く全ての本人尋問に立ち会った。60年におよぶ原告のみなさんの苦しみの深さを知った」とのべ、厚生労働省が負けても負けても同じ主張を繰り返して、被爆者が死に絶えるのを待つかのように、裁判を引き延ばしている非情さをきびしく糾弾しました。
第4パートは、「本裁判の役割と裁判所への期待」。池田眞規弁護士と中村尚達弁護士が力強く、締めくくりの弁論をしました。
「結び」は、高見澤昭治弁護士。厚生労働省側が出してきた大阪地裁判決にたいする意見書をきびしく批判しました。
厚生労働省側は、裁判記録を積み上げ、10数人が弁論に立ち会いましたが、一言も発言せず、誠意のない態度に終始しました。
裁判長は、「判決の日はおってお知らせする」とのべ、裁判の終結を宣言しました。