被爆者相談所および法人事務所
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東京訴訟結審 斉藤泰子さんの証言

(1) 私は直接被爆者ではありません。入市被爆者です。広島に原爆が投下されてから5日後の8月11日に、母に連れられて、爆心地から約1.4キロメートルの広島市比治山町の自宅に戻りました。
 私は、熱線も爆風も受けていません。やけども怪我もしていません。しかし、私は入市直後から急性症状に苦しみ、今癌に殺されそうになっています。

(2) 私は被爆当時4歳でした。被爆直後から小学3年生ころまで、発熱、下痢、吐き気に苦しみました。その間、幼稚園と小学校は満足に通えませんでした。被爆前は幼稚園を休むことなく元気に通っていたのに、被爆後は一気に病弱になりました。
毎日苦い煎じ薬を飲まされましたが、5歳ころには一時命が危ぶまれるほどの高熱がでました。発熱、下痢が落ち着いても、疲れやすく、体がだるいという症状が続きました。小学校の体育の授業の多くは見学していました。

(3) 小学校、中学校、高校、短大と進学していきましたが、他人より体が弱く、疲れやすいと感じることはよくありました。成人してからも変わりませんでした。20歳の時から洋裁の仕事をしていましたが、無理はできませんでした。しかし、負けず嫌いで体が弱くても気持ちで頑張ってきました。

(4) 私は、母のすすめで子どもが中学に入った39歳のときに被爆者手帳をとりました。それまでは母から被爆のことをほとんど聞いたことはなく、体が弱いことは生まれつきのものと思っていました。しかし、母から被爆の話を聞いて、だんだん被爆の影響なのではないかと感じるようになっていました。
 母は昔から私が被爆の影響を受けていると感じていたそうです。でも、私がちゃんと結婚できるように、ずっと黙っていたそうです。母はずっと「何で子供たちを広島市内に連れて行ってしまったのだろう」と一人で苦しんでいたのだと思います。母へいくら感謝してもしつくせません。

(5) 私は、体は弱くても、大きな病気にはかかりませんでした。ところが、平成13年に直腸癌がみつかりました。手術をし、一旦はほっとしました。これで終わったと。しかし、これは現在まで続く癌との戦いの始まりでしかありませんでした。翌14年に直腸癌が再発しました。手術で直腸全部をとり、人工肛門をつけました。この癌の再発には、私以上に主人がものすごく落胆したことを覚えています。平成15年には、右骨盤内のリンパ腺に癌が転移していることが分かりました。手術の出来ないところであったため、放射線を1ヶ月間あてました。そのかいあって、一時は癌も沈静化しました。
 しかし、翌16年、放射線治療により腸が癒着し、腸閉塞を起こしました。一旦は手術で腸をはがして頂きましたが、よくならず、食事が出来なくなりました。胃に穴を空けて、胃ろうを付け、毎日点滴ができるように点滴の管もつけました。このときから現在まで約2年間点滴だけの生活をしています。現在体重は30キロです。
 今は癌が大きくなり、腰の神経を圧迫して、体中がしびれています。特に、足のしびれはひどく、ものにつかまらなければ歩けません。外に出歩くことが出来ず、車いすの生活になっています。家の中でも、主人に手伝ってもらってやっとトイレに行けるという状態です。これまでは、体が弱くても人一倍頑張ってきました。炊事、洗濯、買い物、掃除、何でもしてきました。しかし、今は体中がしびれ、何もすることができません。頑張ろうとしても、がんばれません。主人には本当に申し訳なく思っています。

(6) 現在、末期癌で余命いくばくもないことを医師から言われています。もう私には時間がありません。
国は、私のような入市被爆者の実態を分かっていません。多くの入市被爆者が私以上に苦しんでいます。このような悲惨な状態は私達被爆者だけで結構です。二度とあやまちを繰り返さないでください。早くこの裁判がよい方向に解決できることを祈っています。