被爆者相談所および法人事務所
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東京訴訟結審 山本英典さんの証言

(1) 東京地方裁判所で集団訴訟が始まってからこの3年、私は原告として臨床尋問をのぞくすべての証人尋問、本人尋問に立ち会ってきました。証言できないまま亡くなった原告の仲間もいました。証言の声がまだ私の耳に残っているのに、亡くなってしまった原告もいました。亡くなった原告は9人となりました。さぞ、悔しかっだろうと思います。証言を聞いて、改めて、皆さんが、どんな思いでこの60年間を生きてきたかを知ることができました。
 岡川精子さんは、就職先を自分が先に選んだばっかりに従姉妹を原爆死させたという罪意識で60年間苦しんできたことを、法廷ではじめて明らかにしました。
 片山文枝さんは、原爆小頭症、全国に26人しかいない原爆小頭症の子どもの母親として、原爆をどんなに憎んできたかを、証言しました。
 斉藤泰子さんは、今日も、30キロしかない身体にむち打って、「私をこのようにした原爆を、人類の上にふたたび繰りかえさせないでください」と訴えました。まさに、命をかけた訴えの連続でした。

(2) それに対して、厚生労働省側は何といったでしょう。「脱毛したのは栄養が悪かった、またはストレスのせいではなかったのですか」。と言ったのです。被爆者の脱毛というのは、髪がばさっと抜けるんです。ぽつぽつと抜けていくのではないのです。
 私は、兄の脱毛をつぶさにみていました。毛根が死んでしまっていました。抜けたあとの頭は、ぶよぶよなのです。指で押すと、頭皮がへこむのです。こんな脱毛が広島、長崎で相次いだのです。
 それを、栄養のせいだとかストレスのせいだとか、よくも言えたものです。被爆者には血性下痢が多かった。これについて厚生労働省側は何といいましたか。「衛生状態が悪かった、または悪い物を食べたせいではないのですか」。私の家でも兄が激しい血性下痢で苦しみ、死にそうでした。当時わが家は8人家族でした。同じ家に住み、同じものを食べていましたが、近距離被爆の兄の嘔吐と血性下痢は激烈でした。
 この法廷で、市川定夫証人もいいました。「広島は軍都でした。おそらく日本でもっとも衛生状態が良かったのではないでしょうか」。

(3) こんな、被爆の現実とかけ離れた反対尋問を厚生労働省はしたのです。被爆の実相に目をつぶって、どうやって「科学的、医学的、最新の知見」なるものが見えてくるのでしょうか。脱毛と下痢についての「最新の知見」なるものを、厚生労働省が20年前に、松谷英子原爆症認定訴訟の第1審の法廷で主張していたことを私は知っています。その主張は、長崎地裁、福岡高裁、最高裁でも否定されました。当然です。その「最新の知見」を、この法廷でも蒸し返しているのです。先日おこなわれた大阪地裁判決への控訴理由書にも書いてあることを知って、唖然としました。

(4) こうした厚生労働省の姿勢には、司法への敬意も、科学にたいする真摯な姿勢も、被爆者行政を担当するものとしての真剣さも、全く感じ取ることができません。厚生労働省がこのように頑な姿勢を取るのは、「原爆投下は国際法違反とは言えない」といいつづけている、核兵器に対する日本国政府の考え方に根っこがあると思います。被爆国日本の政府でありながら、意図的に、核兵器の被害を軽く見せようとすることに、私たちは怒りを抑えることができません。

(5) 裁判長にお願いします。被爆者が死に絶えるのを待つかのように、負けても負けても裁判をつづけ、非情で非科学的な認定行政を改めようとしない厚生労働省に、厳しく反省を迫る判決をしてください。