原爆症認定集団訴訟 東京第1次訴訟 東京高裁判決要旨 2009年5月28日
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1 事案の概要及び主文の要旨
(1)事案の概要(※原告番号3は欠番である。)
本件は、被爆者である1審原告ら(訴訟係属中に死亡した者も「1審原告」と呼称する。)が、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号、生労働大臣に対し、各却下処分の取消しを求めるとともに、1審被告国に対し、各却下処分の違法を理由として、国家賠償法1条1項の規定に基づき、慰謝料(申請者1名につき各200万円)及び弁護士費用(申請者1名につき各100万円)並びにこれらに対する各訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めたものである。
原判決は、1審原告の30名のうち、21名に対する却下処分を違法として取り消し、その余の9名に対する却下処分は適法であるとして請求を棄却した上、国家賠償請求については全員につき理由がないとして棄却した。1審原告ら及び1審被告厚生労働大臣が、それぞれ敗訴部分を不服として控訴をした。
なお、当審の訴訟係属中に、1審原告らのうち20名について、新しい審査の方針に基づき、却下処分が取り消され、原爆症の認定がされた(申請に係る疾病の一部について認定された者も含む。)。
1審原告氏名、申請疾病名、新審査の方針に基づく認定の日、認定疾病名、原審及び当審の各結論は別表に記載のとおりである。(東友会事務局より:この「別表」は個人情報保護の観点から掲載しません。)
(2)主文の要旨
ア 1審原告のうち20名(原告番号1、2、5、6、7、8、10、11、13、14、16、21、22、23、24、25、26、28、29、31)について、原爆症の認定がされており(原告番号11は申請疾病の一部)、同1審原告らの邸下処分の取消しを求める請求は、取消しを求める法律上の利益がなく不適法である。
これら1審原告の却下処分取消を求める請求について実体判断をした原判決を取り消した上、同請求に係る訴えを却下した(主文1項及び2項)。
イ アで訴えを却下した以外の1審原告11名のうち、10名(原告番号4、9、11、12、15、17、18、19、27、30)に戴する原爆症認定申請却下処分は違法である。上記のうち3名(原告番号9、11、27)の却下処分取消請求を棄潔した原判決を取り消し、これらの請求を認容し(主文3項から8項)、7名の却下処分取消請求を認容した原判決は相当であるから、1審被告厚生労働大臣の控訴を棄却する(主文10項)。
ウ イの11名のうち1名(原告番号20)に対する原爆症認定申請却下処分については違法はなく、同1審原告の却下処分取消請求を棄卸した原判決は柑当であるから、同1審原告の控訴を棄却する(主文9項)。
エ 1審原告らの国家賠償請求は理由がないから、これを棄却した原判決は相当であり、1審原告らの控訴を棄却する(主文9項)。
2 本案前の判断
1審原告らのうち20名について、1審被告厚生労働大臣が、当審の訴訟係属中に、同1審原告らの原爆症認定申請に対する却下処分を取り消し(一部の取消し含む。)、原爆症認定処分をした。
上記20名のうち、(東友会事務局より:氏名は掲載しません)14名については、申請疾病と認定疾病との間にそごはなく、取消しを求める却下処分が消滅し、取消しを求める法的利益を肯定する根拠もないから、同1審原告らの却下処分の取消請求に係る訴えは不適法である。
また、原爆症認定を受けたその余の1審原告のうち(東友会事務局より:氏名は掲載しません)5名については、申請疾病と認定疾病との間にそごがあり、認定を受けなかった疾病について、なお取消しの対象となる却下処分が存在するが、同1審原告らは当審口頭弁論終結の日までの間に死亡しており、同1審原告らが支給を受ける医療特別手当又は特別手当が、残存した却下処分の取消しによって影響を受けることはなく、その他、残存する却下処分の取消しによって受ける法的利益が認められないから、同1審原告らの却下処分の取消請求に係る訴えは不適法である。
なお、1審原告Nについては、申請疾病のうち胃がんについて原爆症の認定を受けたが、直腸がんについての却下処分が残存しており、この却下処分の当否の判断を要する。
3 線量評価について
DS86について、その存在意義自体を否定することはできないし、初期放射線の被曝線量評価については他に手段はなく、これに誤差があることを考慮しつつ原爆症認定に当たって利用することは相当であるといえるが、残留放射線(誘導放射線、放射性降下物)についての影響の程度について、審査の方針が定めたように機械的に線量評価をしてよいかどうかについては疑問があり、原爆被爆者の内部被曝の影響の程度については、専門家の間で意見が分かれるところである。
4 急性症状について
DS86による被曝線量を前提とすると、明石意見書等によって認められる放射線被曝治療における急性放射線障害のしきい値に関する知見と被爆者の被爆まもなくの急性症状の調査結果には相容れない矛盾があるとするほかはない。DS86の残留放射線による被曝線量及び内部被曝に問題があるとしても、それによって上記矛盾を説明しきれるとも考えられないし、放射線被曝治療における急性放射線障害のしきい値に関する知見について特に異論がある状況もない。このような場合、原爆症の認定過程においては、これをあるがままの前提として判断していくほかはないものと考える。すなわち、原爆症認定における放射線起因性の判断は、放射線や負傷又は疾病に関する科学的知見に基づく法律判断であって、科学的知見が日々発展していく性質が有するものであるから、あくまでもその時点における科学的知見という限定を常に伴うものである性格に照らすと、その時点における科学的知見に基づいて法的判断を行うことになる。本件においては、1)DS86、放射線被曝治療、放射線防護学等の科学的知見が被爆者の初期症状をすべて説明し尽くしていないこと、2)被爆者調査における被爆者の初期症状が原爆放射線の影響によるものであると考えることが最も合理的であること、3)しかし、個々の被爆者に被爆直後に放射線の急性症状類似の症状が現れたとしても、そのことだけで直ちに当該被爆者に相当程度の放射線被曝があったと断定することはできないこと、以上を念頭において判断するのが相当である。
上記の見地に立って、原爆症認定の放射線起因性判断における急性症状の問題についていえば、まず、前に列挙した被爆者調査の結果からみると、審査の方針が定める線量評価の手法は、特に残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)及び内部被曝の問題についての点で過小評価に陥る危険があり、これをそのまま是認することはできず、審査の方針の基準に基づいた被曝線量を誤りのないものであることを前提に判断することはできない。
次に、原爆症認定の申請をした被爆者に急性症状が認められる場合には、その具体的症状により、原爆放射線の影響を受けたことの根拠の1つとして考慮することが相当である。この場合、その急性症状の具体的内容、発症時期、継続期間等を把握し、放射線被曝治療に係る急性症状の知見を参考としつつ検討するのが相当である。
5 原因確率について
審査の方針の採用する原因確率については、1)基礎資料である放影研の疫学調査に用いられた線量評価では、DS86の初期放射線以外の線量が考慮されておらず、ポアソン回帰分析の手法による解析結果から得られた過剰リスクが低いものとなっている可能性があること、2)死亡率調査と発生率調査における過剰リスクには相当差があり、死亡率調査によれば、発生率調査よりも低い過剰リスクとなる可能性があること、3)死亡率調査及び発生率調査による結果を一律に10パーセント及び50パーセントの数値を基準に評価すること、の3点において、その正確性に問題がある。
放影研の疫学調査が、被爆者の晩発障害と放射線との関連性を探求してきた功績は高く評価されるべきである。寿命調査、成人健康調査において、線量反応関係が認められる疾病が、がん及びそれ以外の疾病について次第に明らかにされ、当初は気づかれなかった健康上の影響が判明し、その疾病の複雑多様さが確認されるようになったが、放影研の調査は、原爆放射線と疾病との因果関係の不存在を証明してきたのではない。そうであれば、放影研の疫学調査の結果、有意な線量反応関係が認められない部分については、それゆえに放射線起因性がないと論決すべきではなく、疫学調査の結果以外の学問的な成果をも考慮に入れて放射線起因性の有無につき審査すべきである。原因確率が審査の公平性のために有用であるとの考え方もあり得るが、審査の方針が採用した原因確率の方式が完全でないとすれば、他の事実からアプローチする道を閉ざすこともまた公平性を失わせる。
6 肝機能障害と原爆放射線の関連について
慢性肝疾患(慢性肝機能障害)と放射線との関連に関する科学的知見は、昭和50年代に入り、高線量被爆者(1グレイ以上)にHBs抗原の陽性率が有意に高く、若年者に明らかであるとの報告や肝硬変有病率と放射線との関係が示唆されるようになり、その後、ワン論文(平成4年)において、慢性肝疾患及び肝硬変の線量反応関係が確認され、以後、藤原論文、山田論文でC型慢性肝疾患について同様の傾向が確認され、イワモト論文、シャープ論文2003、同2006において、臓疾患の機序への関わりを含めて解明が進むものと悪われる。現時点においては、ワン論文、藤原論文、山田論文が示す、慢性肝疾患、C型慢性肝疾患における線量反応関係は、現在の科学上の水準として、これを否定すべき学的状況にはない。
慢性肝疾患のうちC型肝炎ウイルス感染に由来するものに関しては、感染自体には線量反応関係がみられず、肝炎の発症・進行について線量反応関係が認められ(藤原論文)、C型肝炎ウイルスと放射線が共同して肝炎の発症・進行の原因となっている。このような場合、放射線起因性を認められるかどうかについて、被爆者援護法の規定から法的な検討を要するところ、C型肝炎ウイルス由来放射線が各種がんを発生させる機序も必ずしも、明らかにされているわけではないが、C型肝炎ウイルスの感染者のすべてが肝炎を発症するわけではなく、原爆放射線被曝がその発症を促進することがある状況においては、その機序が医学的に解明されていないとしても、C型慢性肝炎については、C型肝炎ウイルスと原爆放射線とが共同して発症・進行の原因となっているものとして、放射線起因性を肯定するのが相当である。
7 甲状腺機能低下症と原爆放射線の関連について
甲状腺機能低下症と原爆放射線の関連性に関する文献を通覧すると、昭和50年代中ころから、これを肯定する知見、井上論文、伊藤論文が公表され、ワン論文(平成4年)によって、甲状腺疾患という広いカテゴリーで線量反応関係が確認され、長瀧論文や山田論文により甲状腺機能低下症の線量反応関係が報告され、その後、平成17年の今泉論文が、長瀧論文とは異なり自己免疫性甲状腺機能低下症について線量反応関係が認められないという結果を報告し、山下論文が文献の検討をした上、今泉論文が長瀧論文を否定したものとして、甲状腺機能低下症では原爆放射線との関連性が認められないとした。原爆放射線と甲状腺機能低下症との問に関連性が認められないというのが、現時点(における科学的知見の有力説であるようにみられる。
しかし、今泉論文は、長瀧論文等の結果を明示的に否定しておらず、甲状腺機能低下症(これを含む甲状腺疾患)の放射線との関連性があるとする知見がすべて否定し去られたと理解することは困難である。さらに、永山論文の動物実験の結果では、放射線照射がマウスの甲状腺炎の一部についてではあるが、有意に増悪させるという結果が得られており、放射線の甲状腺に対する影響については、更なる研究が進むものと考えられる。
科学的知見の分野における厳密な学問的な意味における真偽の判定とは異なり、原爆症認定における放射線起因性の認定判断は法律判断であって、その時点における一定の水準にある科学的知見の客観的な状況を前提として行われる。従来の科学的知見に変更があった場合には当然見直しがされなければならないが、現実に動いている原爆症認定の実務に反映されるためには、それまで積み重ねられた科学的知見が変更されたものとみるのかどうかについては十分に検討し尽くされることが必要とされる。前記認定の多くの科学的知見を通覧したところ、今泉論文の存在を前提としても、なお自己免疫性甲状腺機能低下症が原爆放射線と関連性があるものと考えて、原爆症認定における放射線起因性の認定判断に当たるのが相当である。
なお、自己免疫性ではない甲状腺機能低下症と原爆放射線との線量反応関係を認めた研究結果は現れていない。しかし、甲状腺機能低下症の機序について、前記のとおり、その大部分が慢性甲状腺炎(橋本病)が原因であること、自己免疫性甲状腺機能低下症が線量反応関係を示して、自己免疫性でない甲状朦機能低下症が線量反応関係を示さないのかの理由が証拠上不明であること、マーシャル群島の核実験被曝の子どもには10年以内に甲状腺機能低下症が認められ、その多くが自己免疫型ではなかったこと、その甲状腺の被曝が外部被曝よりも内部被曝であるとされているところ、DS86には内部被曝についてはこれをゼロとしていたから、DS86を用いた疫学調査において、線量反応関係が正しく解析されていなかったおそれも否定できないことを考慮すると、相対リスクがどの程度であるかは判然としないものの、自己免疫性でない甲状腺機能低下症についても、原爆放射線との関連性があるものとして、原爆症認定における放射線起因性の認定判断を行うのが相当である。
8 放射線起因性の判断基準について
検討の基本事項としては、1)最高裁平成12年判決(松谷訴訟)の示す基準に従うこと、2)法律判断の前提としての科学的知見については、放影研の疫学調査を中心に検討するが、対立する科学的知見がある場合には、厳密な学問的な意味における真偽の見極めではなく、一定水準にある学問成果として是認されたものは、そのあるがままの学的状態で判断の前提とすること、3)放射線起因性は、法律判断であって、確立した不動の科学的知見に反することはできないが、対立する科学的知見がある場合には、それを前提として、経験則に照らし、全証拠を総合して判断をすること、4)被爆者援護法の国家補償的性格及び被爆者の高齢化に留意すること、以上の4点が必要である。
すでに検討したDS86による被曝線量評価の問題点(残留放射線及び内部被曝による放射線の評価の不十分さ)、原因確率の問題点(DS86を用いたことによる過剰リスク算定の問題、死亡率調査と発生率調査の使い分けの問題、一律に放射線起因性の目安数値を10%又は50%に設定している問題)、慢性肝機能障害及び甲状腺機能低下症について基準から排除している点、以上の諸点にかんがみると、審査の方針には問題があり、原爆症認定の判断基準として適格性を欠く。
本件訴訟における放射線起因性は、1)原爆放射線の線量評価としては、DS86による初期放射線の評価は尊重し、誘導放射線、放射性降下物による放射線、内部被曝による放射線について定量的判断は困難であるとしても、その有無及び程度を検討する、2)疾病の原爆放射線との関連性については、放影研の疫学調査等を参考とする、3)1審原告らの個別事情としては、原爆被爆の状況、被爆後の行動、被爆後現れた急性症状、被爆前の健康状態、生活状況、被爆後の健康状態、生活状況、申請疾病の内容、発症の経緯等を総合考慮する、4)判断基準としては、最高裁平成12年判決に従い、原爆放射線被曝の事実が1審原告らの疾病の発症を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるかどうかによる、5)判断の前提となる事実のうち、被爆状況、被爆後の行動については、60年以上前の事実であり、客観証拠が少ない状況で、1審原告らの供述に依存する比重:が大きくならざるを得ないが、他の証拠との対比において慎重に検討する必要がある、以上を判断基準として検討する。
9 個別の1審原告の原爆症認定の要件充足性について
(東友会事務局より:個人情報保護の観点から、この部分は掲載しません。)
10 国家賠償請求について
1審原告らの主張の骨子は、1)1審被告厚生労働大臣(厚生大臣)には、確立した司法判断を尊重すべき義務がり、1審原告らの原爆症認定の申請に対して、重大な欠陥があることが明らかであった審査の方針を、その欠陥を知り又は知り得べきであったのに機械的に適用して、申請を却下したこと、2)行政手続法5条1項が規定する審査基準を定めなかったこと、3)同法8条1項が規定する拒否処分の理由付記をしなかったことが違法であるとして、却下処分によって1審原告らが被った精神的苦痛に対する慰謝料及び訴え提起を余儀なくされたことにより生じた弁護士費用の損害を賠償する義務があるとするものである。
しかし、1)について、最高裁平成12年判決(松谷訴訟)、大阪高裁平成12年11月7日判決(小西訴訟)があるが、これらは事例判例であり、原爆症認定について、包括的な確立した司法判断があるとはいえない。
審査の方針については、確立した科学的知見の裏付けがある完壁なものであるとはいいがたく、被爆者援護法の趣旨に合致したものとはいえないが、DS86、児玉論文等の裏付けのもとに策定されたものであって、審査の方針の策定行為が、国家賠償法上違法であるということはできない。
また、審査の方針が機械的に適用されたことを認めるに足りる証拠はない。
さらに、行政手続法5条1項、8条1項に違反するとの主張も採用できない。
以上