被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 仙台高裁判決要旨

第1 事案の概要

1 1審原告波多野明美は胃癌及び胃切除後障害(切除後障害)、同新沼弍雄は膀胱癌を各申請疾病として、1審被告大臣に対し、被爆者援護法の医療給付を受けるため、原爆症認定申請をしたが、1審被告大臣は、1審原告らの申請疾病には、放射線起因性及び要医療性が認められないとして、本件各却下処分を行った。そこで、1審原告らが本件各却下処分の取消しを求めるとともに、本件各却下処分は1審被告大臣の違法有責な職務行為であるとして、1審被告国に対し、国家賠償法に基づき損害賠償請求をした。原審は、1審被告大臣の本件各却下処分を取り消したが、1審原告らの賠償請求を棄却したことから、1審被告大臣及び1審原告らが控訴した。

2 当審では、1審被告大臣は、疾病・障害認定審査会(審査会)の原子爆弾被爆者医療分科会(医療分科会)が設定した放射線被曝線量評価システムDS86(線量評価システム)と原因確率を基礎とした審査方針(旧審査方針)に依拠して、申請疾病の放射線起因性を否定していたが、平成20年3月17日、医療分科会が旧審査方針を改めたことから、1審原告新沼の申請疾病の放射線起因性については争わない姿勢に転じたものの、その余の点については従前どおり争点として残った。

3 その結果、当審における争点は、(1)1審原告波多野の切除後障害の存否、同障害に関する放射線起因性及び要医療性の有無、(2)1審原告新沼の膀胱癌の要医療性の有無、(3)1審被告大臣が行った本件各却下処分の行政手続法違反の成否、医療分科会が審査基準の内容としていた線量評価システム及び原因確率の科学的合理性、原爆症認定訴訟における従前の司法判断を反映しない運用の適否に集約された。

第2 当事者の争点に関する主張の概要

1 原爆症認定申請関係(1審原告らと1審被告大臣)

(1)1審原告波多野は、胃癌の治療として胃切除を受け、その結果切除後障害であるダンピング症候群、栄養障害及び貧血等の症状が生じ、申請当時も治療を受けており、放射線起因性及び要医療性を具備している旨主張したのに対し、1審被告大臣は、胃癌の放射線起因性を認めるが、切除後障害は存在せず、仮に存在するとしても、胃切除後の2次障害には放射線起因性が認められないこと、同症状は、医師の食事療法等に従わない結果であること等を理由として、要医療性をも争った。
(2)1審原告新沼は、膀胱癌の発症は放射線被曝によるもので、再発の危険性があるため定期的に検査等を受けることを余儀なくされ、放射線起因性及び要医療性を具備している旨主張したのに対し、1審被告大臣は、放射線起因性を当初争ったが、医療分科会が新審査方針に改めたことから、放射線起因性は争わない姿勢に転じたが、膀胱癌は治癒し、定期的な検査を受けているのみで治療行為が行われていないとして、要医療性を争った。

2 国家賠償請求関係(1審原告らと1審被告国)

(1)1審原告らは、行政手続法で定める原爆症認定の審査基準が設定されていないこと、本件各却下処分通知書に実質的理由が記載されていないこと等は、1審被告大臣の違法有責な職務行為であると主張したのに対し、1審被告国は、具体的審査基準を設定することが困難であること、科学的・専門的判断であるから設定しないことにつき合理的理由が存在すること、却下処分通知書には処分の根拠事実と法規が記載されており、処分理由記載の趣旨を充たしていることから、違法有責な職務行為ではない旨主張した。

(2)また、1審原告らは、旧審査方針を構成する線量評価システム及び原因確率は科学的合理性に問題が存在し、司法判断において、その問題点が指摘されていたのに、医療分科会が旧審査方針に基づき原因確率を機械的に適用して審査し、審査会がその結果をもって1審被告大臣に答申し、同大臣は漫然とこれを受け入れ、本件各却下処分をしたのであるから、違法有責な職務行為であると主張したのに対し、1審被告国は、旧審査方針、特に線量評価システム及び原因確率は科学的合理性を備えており、同基準に基づき審査がなされ、本件各却下処分が行われたものであって、違法有責な職務行為には該当しない旨主張した。

第3 本件事案の争点に関する当裁判所の判断

1 原爆症認定申請関係(1審原告らと1審被告大臣)

(1) 1審原告波多野について
 ア 同原告の切除後障害に関する医学的知見は、ダンピング症候群(自覚症状)、栄養障害及び貧血等とされていること、担当医師作成の診療録では、原爆症認定申請前後の同原告の自覚的症状として、「だるい」、「冷汗」、「食欲不振」等の記載がしばしば見られるほか、それ以前でも、「食後の胃の痛み」、「食後の動悸」
 等の記載が見られ、ダンピング症候群の典型的症状が存在していたこと、申請前後の各種検査結果の数値からも、原爆症認定申請当時、切除後障害が存在していたことは明らかである。
 イ そして、同障害は、1審被告大臣が放射線起因性を認める「胃癌」の治療として胃を切除したことにより発生したものであるから、胃癌と相当因果関係にある障害として、放射線起因性を是認することができる。また、2次障害であっても、原子爆弾の傷害作用により直接罹った疾病と相当因果関係にあると認められる場合であるから、原爆症認定の対象に扱うと解するのが相当である。
 ウ なお、1審原告波多野は、申請当時、毎月定期的に複数回通院し、ダンピング症候群の治療として各種の治療薬の処方を受けていたことが認められ、切除後障害に対する治療行為が行われていたことは明らかである。

(2) 1審原告新沼について
 ア 同原告の膀胱癌に関する放射線起因性の判断は、旧審査方針の審査基準に基づき行われたが、その後、放射線起因性の審査を緩和する新審査方針が導入され、同審査方針の下で原爆症認定申請する者との間で放射線起因性の判断に不均衡を生じさせないためにも、同原告の膀胱癌については、新審査方針を適用して、放射線起因性の判断をするのが相当である。そして、同原告の場合、爆心地から約2キロメートルの地点において被爆したこと、申請疾病は悪性腫瘍である膀胱癌(固形癌)であって、職業ないし生活環境等他の要因で発症したことをうかがわせる事情はないから、膀胱癌について放射線起因性を認めることができる。
 イ 同原告の場合、昭和55年腎盂癌で手術を受け、13年後に膀胱癌を発症し、1年余りで同癌が再発し、癌部分の除去手術を受けたこと、その後の検査では、膀胱壁が非正常の状況で推移したこと、膀胱癌除去手術をした執刀医は、切除標本検査では壁外浸潤の有無は明確に判断ができず、転移可能性のある浸潤癌である疑いを払拭できなかったこと、高齢者では再発の危険性が高い癌とされていたこと等の事情からすると、半年に1回程度の定期的検査であり、積極的な治療行為が行われていないとしても、要医療性を是認するのが相当である。

2 国家賠償請求関係(1審原告らと1審被告国)

(1)行政手続法違反の成否について
 多数の原爆症認定申請者に対し、公正・公平な判断をするためには、旧審査方針におけるような科学的に検討された原因確率等を指標として判定せざるを得ないこと、このような指標を審査基準として具体的に定めることが困難であること、原爆症認定の可否は、放射線医学等の専門家により構成された審議会(審査会)の意見を聴くことと定められ、公正・公平な判断が制度的に担保されているから、1審被告大臣が審査基準を設けないとしても行政手続法に違反するものではない。また、本件各却下処分の理由は、不服申立ての検討資料の提供の趣旨を十分に果たしており、理由記載に不備はない。

(2)旧審査方針における審査基準について
 医療分科会が、原爆症の認定申請に対し、公正・公平な審査を行う'ために、科学的に検討して審査基準となるべき指標を作成し、判断内容の適正を図ろうとすることは、医療給付金の原資を負担する国民の理解を得るためにも必要であり、線量評価システム及び原因確率を判断の一資料として用いることは、公正・公平な原爆症認定の判断をする上では目的にかない、かかる運用を否定することはできない。
 しかし、放射線被曝に起因する疾病であるか否か、放射線被曝による発症の仕組み等については、未だ十分には解明されておらず、審査基準の根幹をなす線量評価システム及び原因確率の信頼性にっいても問題点が存在すること、すなわち、線量評価システムは大型計算機によう数値実験により開発されたもので、被爆線量の推定値と実際の測定値との間にかなりの誤差が存在しているとの専門家の指摘があること、同評価システムの被曝線量の計算に影響を与える原爆投下時の気象条件等の設定は不明であり追試ができないこと、放射性微粒子が体内に吸収された場合の内部被曝の線量が考慮されていないこと等信頼牲を疑問視すべき合理的事由が存在しており、同評価システムの放射線被曝線量の推定値を絶対的なものと扱うことはできない。
 また、原因確率は、広島、長崎原爆の被爆者に対する疫学調査資料について、統計学的解析方法をもって、被爆者の爆心地からの距離、性別、年齢毎の各種疾病の発症割合を算定したものであるが、投下後5年以内の調査資料を欠いていること、不慮の事故で死亡した者は調査から除外されていること、統計学的解析方法が前提としている線量評価システムの信頼性に問題点が存在すること等のほか、1審原告新沼の膀胱癌の原因確率は、肝臓癌、皮膚癌等と一括して扱われ、原因確率の低い癌と同視されたとの疑問も指摘できる。
 原因確率の数値には、このような問題点が内在しているから、申請疾病の原因確率が低い数値であることのみをもって、放射線起因性を端的に否定すべきではなく、既往症、生活環境等をも勘案して、放射線起因性を判断すべきであるのに、医療分科会は、申請疾病に関する原因確率を所与のものとして扱い、これを形式的に適用して認定申請の放射線起因性を否定する審査をしたものと判断せざるを得ない。
 なお、被爆者援護法では、原爆症認定申請を受けた揚合、審議会に相当する審査会の意見を聴くことを義務付けており、学問的知見等を備えた専門家で構成された審査会が恣意的な判断に基づき意見具申等をしているとは認め難いから、1審被告大臣が審査会の意見に従いなした本件各却下処分が違法有責な職務行為であると認めることはできない。

(3)その他について
 下級裁判所の司法判断では、線量評価システム.等の信頼性について疑問点が指摘されたのであるから、環境因子の有無等をも重視し個別的に調査することが望まれたところではあるが、司法判断は事案に即してなされたものであって、かかる判断に沿うように運用が改善されなかったことをもって、1審被告大臣の違法有責な職務行為に該当すると判断することはできない。
 なお、1審原告らの要医療性の判断のうち、1審原告新沼の場合、定期的検査をもって、「現に医療を要する状態にある被爆者」(被爆者援護法10条1項)に該当するか否かが争点となったが、1審被告大臣が定期的検査のみでは要医療性を具備していないと主張することも首肯できるのであって、控訴審において要医療性につき争う姿勢を示したとしても、これをもって違法有責な職務行為と判断することはできない。
  しかし、1審原告波多野の場合には、切除後障害の存在、放射線起因性及び要医療性は証拠上明らかに認められるにもかかわらず、1審被告大臣は、当審においてもこれを争う姿勢を維持していたことは、被爆者援護法の制定の経緯、同法前文に示された救済の精神に照らすと、いささか柔軟な対応に欠けていたものといわざるを得ないが、これをもって1審被告大臣に違法有責な職務行為があったとまでは判断することができない。

3 結論

 1審原告らの原爆症認定申請については、被爆者援護法11条1項の要件を具備していることが認められ、これを却下した処分は違法であるから、その取消しを命じ、他方、1審原告らの国家賠償請求については、1審被告大臣の違法有責な職務行為は認められないから、その請求を棄却した原判決は相当であって、1審被告大臣及び1審原告らの控訴をいずれも棄却する。

(以上)