原爆症認定制度の根本的改善を 政府・国会へ座り込みなど連日行動
譲れない3つの要求 国は原爆被害に正面から向き合え
仙台・大阪両高裁の判決に前後して、日本被団協、全国原告団、全国弁護団、「原爆症認定訴訟支援全国ネットワーク」は、2008年5月19日から6月12日まで、多彩な宣伝・要請行動に取り組みました。
東友会は、これらのすべてに参加。第1次座り込み行動ではのべ111人、第2次行動ではのべ89人、全体では361人が参加し、成功の原動力となりました。
何を要求したか
要求のポイントは、次の3点でした。
- 仙台・大阪両高裁の判決に上告をしないこと
- 係争中の原告305人全員を認定すること
- 判決の趣旨に添って認定制度を抜本的に改めること
どんな行動をしたか
おもな行動は8つ。これらの行動に全力で取り組み、成功させました。
- 国会議員全員に、面談を要請する文書を配布(ローラー作戦とよんだ)
- 約束を取り付けて面談して要請(102議員と面談)
- 全政党に呼びかけて超党派議員による院内集会(15議員など120人が参加)
- 日比谷公園内にテントを張っての第1次(6月3、4、5日)、第2次(6月10、11、12日)の座り込み
- 国会議員への日刊ファックスニュース送達(19号まで発行)
- 厚生労働省大臣との面談(6月5日に実現)
- 総理大臣との面談(大野松茂官房副長官との面談が6月12日に実現)
- 国民の支持を得るための宣伝、マスコミ対策
約1カ月にわたった要請行動 国会議員にもくり返し要請
5月19日から6月16日までに面談要請をした議員は700人、うち100人の議員と直接面談。東友会は、東京選出議員へブロックごとに面談要請をおこない、16議員と面談ができました。
院内集会は6月2日、国会議員15人、被爆者と支援者など120人が参加しておこなわれました。東京選出の議員では、自民党・伊藤公介、民主党・小宮山洋子、共産党・笠井亮、社民党・保坂展人の各氏が参加。力強い決意をのべました。
二波にわたる座り込み
座り込み初日の3日は、冷たい雨が降り続く1日でした。「にんげんをかえせ」「原爆症集団訴訟の早期解決を」と大書した横幕をかざしたテントでは、全国の原告・被爆者、弁護団、支援者が座り込み、テント前では、東京、千葉、神奈川各県で活躍している音楽集団も激励にかけつけ、雰囲気を高めました。
国は上告を断念したが制度の抜本改善はいまだ成らず
テント開きでは、山本英典原告団長が力強く「座り込み開始宣言」。つづいて、熊本の原告・中山高光副団長が「雨にもめげず、風にもめげず、厚生労働省の冷たい被爆者行政にもめげず…」とユーモアたっぷりに決意表明。各地の原告が次々と発言しました。テントには、寺田稔自民党衆議院議員、笠井亮共産党衆議院議員も激励にかけつけ、歌手の横井久美子さんの「にんげんをかえせ」の歌に合わせて全員合唱などがありました。
遺影かかげ行進
り込み第2日の6月4日は晴。午後2時半から国会への請願行進。東友会は亡くなった原告13人の遺影を胸に51人で粛々と歩きました。
衆議院議員面会所前には、自民党、民主党、共産党、社民党の議員が約30人、党名の入ったノボリや立て看板をかざして拍手でお出迎え。原告代表たちと固い握手を交わして、集団訴訟解決のためにがんばる決意を示しました。議員面会所で各党議員が出迎えたのは、1994年の原爆被爆者援護法制定要求の請願行進以来14年ぶりでした。
決起集会も
星陵会館での「原告全員救済を求める総決起集会」には、請願行進に参加した被爆者、支援者ら300人が参加。政党からは、自民、民主、公明、共産、社民の各党代表が激励の挨拶を送りました。
厚労大臣と面談
5日には、舛添厚生労働大臣と西川京子厚生労働副大臣との面談が実現しました。大臣面談では、東友会の西本治子原告が「裁判で勝っているのに厚生労働省はいつまでも認定しないのはおかしい」と、きびしく追求する要請をおこないました。
舛添大臣は最後に、「来週には朗報をお伝えできると思います」と期待を持たせる発言をしました。しかし、伝わってきたのは「上告断念」だけ。西本さんの期待はまたも引き延ばしにされました。このため西本さんは、記者会見で、「大臣は私たちにウソを言った」と発言、厚生労働省をきびしく批判しました。
上告断念だけ発表
厚生労働省は6月10日、仙台、大阪両高裁判決について、最高裁へ上告しないと発表しました。しかし、原告305人全員の認定、認定制度の抜本改定については何も言及していないため、原告団などは6月10日から12日まで、第2次の座り込みに入りました。
官房副長官と面談も
12日には、大野松茂官房副長官と約20分間面談、原告全員の認定、認定制度の抜本改定を要求しました。大野副長官は、被爆者・原告の労にはねぎらいの言葉をかけながらも、要求項目については「首相に伝える」というだけで、確答を避けました。