被爆者相談所および法人事務所
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あずま数男かずお原爆裁判 第12回口頭弁論
肥田医師が実相を証言、国をきびしく批判

 あずま原爆裁判の第12回口頭弁論が、2001年10月30日、東京地裁103号法廷でひらかれました。103号法廷は、東京地裁で一番大きな法廷です。100人から120人が傍聴できます。
 「原爆裁判の勝利をめざす東京の会」は、この法廷を「首都東京での原爆被害の総合的な実相普及の場」として位置づけ、都内の支援者や団体に、法廷を満杯にするよう参加をと呼びかけてきました。
 あずま原爆裁判で103号法廷を使ったのは初めて。この日は、肥田ひだ舜太郎しゅんたろう医師・日本被団協中央相談所理事長の証人調べとあって、傍聴席は定席の96をはるかに超える210人に達しました。東友会からは98人が参加。首都圏の被爆者、原水協関係者、生協関係者、大学生、北海道の安井裁判関係者もいました。あずま数男かずおさんは朝子夫人と孫と一緒に参加しました。傍聴は、参加者全員が傍聴できるようにと、3交代制となりました。
 肥田医師は、被爆直後から56年間、一貫して被爆者医療に関わってきた経験をもとに、弁護団の説明に丁寧に答えました。最後に国側に向かい、「被爆者をほったらかしてきた政府が今になって、国の権力で被爆者の人生を左右する認定について、勝手な規準を押しつけてくることは許せない。これは私の遺言だ」と証言。傍聴者に感動をあたえました。

並べられた机に着席し、壇上からの報告を聞く参加者たち。
210人が参加した報告集会
肥田舜太郎証人

証人尋問の要旨

高見澤昭治弁護士の質問から

高見澤 証人は被爆者か。これまで何人ぐらいの被爆者を診てきたか。
肥田 私は被爆者だ。原爆投下直後に戸板村で2000から3000人診たと思う。ひどい火傷で、とても人間とは思えない悲惨な集団だった。死んでいるか生きているかを一目で見分け、あとどのくらい生きられるかを判断しながら手当をした。
 つい目があって、通り過ぎることができなくて脈をとったら、食いつきそうな目がすーっと穏やかになり、そのまま亡くなった人の姿が今でも印象に残っている。
 その後56年間被爆者を診てきた。常時300から400人は診てきた。今も2500から3000人のカルテを持っている。

高見澤 原爆症認定申請につける診断書を書いてどう考えるか。
肥田 医者として困るのは、体内に入った低線量放射線の影響だ。アメリカのユタ州では、原発事故後、乳ガンが倍になった。チェルノブイリ原発事故で復旧作業をしたリトアニアの兵士を診たが、広島・長崎の被爆者と同じ症状だった。日本政府は「(原爆爆発後の)入市は放射線とは関係ない」と言っているが、アメリカは入市の兵士にも影響があるとして補償している。

高見澤 あずまさんのC型肝炎をどう見るか。C型肝炎は注射器の回し打ちが原因と見られている。あずまさんではどう思うか。
肥田 C型がウイルスだとしても、当時C型は発見されていないから、調べようがない。原爆放射線による肝炎が先にあったと思う。あずまさんは、がんばり抜いて生きる人で、健康を守ることに不勉強だったと思う。この裁判が一日も早く片づいて、よい余生を送ってくれることを期待したい。

池田眞規弁護士の質問から

池田 証人が、投下された爆弾を原爆だと知ったのはいつ頃か。
肥田 一週間後。病理の医師が顕微鏡で血液を見て、こういう壊れ方をする特徴があると言っていた。

池田 放射線の影響を見るのはどんなときか。被爆者の身体で、ここを切ってみたら放射線の影響だとわかるものがあるか。
肥田 急性症状があったかどうかが重要だ。放射線の影響は染色体を見ればわかるが、100%ではない。「これは放射線の影響だ」と確信的な結論は出せない。

池田 被爆者を治療するための科学的調査はないのか。
肥田 被爆後の10年間、政府は何もしなかった。13年経ってやっと原爆医療法ができたが、それまでは被爆者は相手にされなかった。

池田 ABCCは調査、治療をしたか。調査結果は臨床医に提供されたか。
肥田 被調査はしたが治療はしていない。資料の提供は全くない。当時、資料を要求すると反米活動だと見られた。

池田 被爆者の後遺症、放射線に起因する病気が続いているが、放影研の調査は有効に利用されているか。
肥田 政府は、「原爆ぶらぶら病」があっても、これを認めていない。心因性のものも認めようとしない。肝機能の調査もしていないから、被爆後どんどん働いて悪くしてしまう人が多かった。肝機能障害を診損なわれて死んだ被爆者もたくさんいる。

池田 原爆症の認定審査で、直接被爆2キロ以内という距離で、被爆者を区別していることについてどう思うか。
肥田 被爆距離1.9キロと2.1キロは、200メートルしか違わない。みんな、もうもうと渦巻く煙、放射能のなかにいた。これが肺にはいって、身体中に回る。肝臓にもくっつく。それが放射線を継続的に出し、近くの細胞をやっつける。水を飲むと、胃を通して血液にのって身体中に放射物質がばらまかれる。まして、体内に入った線量はわかりっこない。DS86を使っての放射線影響の判断は不合理だ。内臓の一部だけを見て、他を見ない審査は欠陥だ。肺ガンが出て治癒しても、長生きすれば別のところにガンが出やすい。まず予算ありきで認定の数を決めるのでは、審査員を変えてもダメだ。公開で、論議の結果を出すようにすべきだ。

厚生労働省側代理人の質問から

厚労省 放射線で免疫機能が低下するのは継続的と思うか。
肥田 放射線によって分子の段階で何が起こるかわかっていない。一つあるのは、ぺトカル効果で、影響を受けた分子が生き延びているときは潜伏期が長く、発症するのは30年~40年といわれている。

厚労省 学術論文でペトカル理論をのべたものがあるか。
肥田 ない。この理論は、原爆をつくる側は絶対に認めないだろう。

厚労省 肺と肝臓のどちらが放射線の影響を受けやすいと思うか。
肥田 この臓器には影響があって、ここには影響がないという考え方こそ問題。動物実験ならできるかも知れないが、私は被爆者を長年診てきて、総体的に考えている。

厚労省 証人はどこかの学会に所属しているか。
肥田 私は大学を出ていない。在学中に軍医にされてしまった。学問を受ける機会がなかった。独学に近い。学会に所属して発言したいと思ったことは一度もない。

厚労省 「しきい値論」はどう思うか。
肥田 いずれ壊れるものと思う。

厚労省 証人は先ほど、原告の肝機能障害は、ウイルスより放射線の影響が早かったと言ったが。
肥田 最近まで、C型肝炎ウイルス説は全くなかった。
 日本の医者としては私は変わり者なのだろうが、私に脈をとられて亡くなった被爆者はたくさんいる。原爆を浴びてから原爆医療法が施行されるまで13年間も放置されて、飢え死にした被爆者もたくさんいる。生活保護をとろうとすると、被爆者の方はGHQに行ってくださいと言われて、ほったらかしになった人もいる。被爆者の救済に全く気のない政府が、今になって、権力で認定基準を押しつけてくることは、人間として許せない。財政がないから認定しないというなら、それを公表すべきだ。
 私は85歳。間もなく死ぬだろうが、このことは私の遺言として、しっかりと残しておきたい。