原爆症認定集団訴訟 東京訴訟 竹内英一郎弁護士の意見陳述
(1) はじめに
本件訴訟の争点となるのは、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「援護法」という)に基づく放射能起因性と要医療性の要件充足の問題でありますが、ここでは特に放射能起因性について言及させていただきます。
放射能起因性とは、各原告の負傷又は疾病が、原爆放射線そのものによって生じたものか、または原爆放射線の影響により治癒能力が影響を受けている場合をいいます。援護法は、原爆の放射線・衝撃波・熱線・爆風といった傷害作用のうち、放射線による人体被害のみを特別の被害として援護の対象にしていますが、原爆による人体被害は、衝撃波・爆風・熱線などによる物理的被害に放射線の影響が加わり、更に家族や地域社会を壊滅させられたことによる心理的外傷という被害も加わっており、これらが複合的かつ相乗的に作用してトータルとしての健康被害が現れるものであります。このようなトータルとしての健康被害である原爆被害の中から放射線被害のみを取り分けて論ずることは医学的にも不可能であり、これは原爆被害の真の捉え方ではないということをまずご理解いただきたいのであります。
(2) 被爆の実相の理解こそが審理の原点である
ところで、本件訴訟においては、各原告について援護法の要件が充たされているかについて主張・立証がなされていくことになりますが、その審理にあたって裁判所には以下の視点に立っていただくことを切望いたします。
個々の原爆被害の実体を直視し、被爆の実相をご理解いただきたいのです。原爆被害については色々な書物や報道によってご認識されているとは思いますが、その破壊力や死傷者数の多さだけではなく、そこには個々人の人間としての存在意義が無惨にも奪われているという実態が存在することを見逃してはならないのであります。被爆した者たちにも一人一人に家庭があり、地域社会や職場での結びつきがあり、その人の生活や夢や希望があったのです。しかし、原爆は、そのような人としての存在意義を根本から奪い去り、今もなお、様々な疾病や、無理解から来る社会的差別といった苦しみを与え続けているのであります。そして、被爆者一人一人が、それぞれの人生において、その多くの時間をこれらの苦しみとの闘いに費やしてきているのであります。
本件訴訟において、我々は、わずか数十例の被爆実体を示すに過ぎません。しかし、被爆の実相に迫ろうとする謙虚な姿勢、これを直視しようとする真摯な努力、これを探求しようとする熱意をもってすれば、この数十例の被爆実体によって原爆被爆者の真の実相・全貌を捉えることは決して不可能ではありません。
原爆被害の実相の理解こそが、本件訴訟を審理する原点であることを、十分にご理解いただきたいのであります。
(3) 被告国の認定基準の非科学性
ところが、国(正確には厚生労働大臣でありますが)は、かかる原爆被害の実相を理解しようともせず、画一的基準によって被爆者の放射線起因性の要件を判断しているのであります。
具体的に申せば、国は従来から被爆者の被爆地点における被曝線量を画一的に計算し、当該被曝線量が人体影響を与えうる量に達しているか否かで原爆症の認定を行ってきました。この被曝線量計算の基となる基準が「DS86」であり、また当該人体影響(疾病)を与えうる最低の線量のことを「しきい値」と呼んでおります。
ところで、国の原爆症認定基準には明らかな誤りがあります。それは、国は、現在の科学が原爆放射線の人体に与える影響を解明し尽くしているはずである、という誤った前提に立っていることであります。
すなわち、まず、DS86は、そもそも核兵器開発にあたって、放射線が人間に対して与えるダメージを正確に把握するという軍事目的のために作られたコンピューターでの計算値であり、広島・長崎における被爆者の健康被害と放射線との関係を明らかにするために作られたものでは決してありません。また、DS86は残留放射線や放射性降下物の影響をほとんど考慮していないのです。残留放射線や放射性降下物は、直接身体に付着し、あるいは埃や水・食物などを通して体内に取り込まれ、皮膚上や体内から持続的に放射線を出し続け、人体に深刻な被害を与えるものであります。つまり、直爆を受けていない者であっても、残留放射線や放射性降下物の影響により人体に深刻な被害が生じることがあるのであります。このことを否定する科学者はおりません。実際、直接被爆をしていない、いわゆる入市被爆者にも急性症状などをはじめとする、およそ放射線障害としか考えられない健康被害が多々存在しますが、このことをDS86では全く説明することができません。
なお、本件訴訟においても入市被爆による放射線被曝の影響が問題となる原告がおりますことを付言いたします。
また、直爆線量の評価につきましても、DS86の計算値と実測値との間では、遠隔地において格段のズレがあることは科学的事実として知られております。
また、しきい値にしても、その値を決めるにあたっては、被爆者のデータが使われているわけではありませんし、しきい値を戦時中の劣悪な条件で被爆した被爆者にそのまま適用することなどできるはずがないのであります。
とりわけ、低線量被曝の危険性が強く指摘されている最近の議論からすれば、しきい値の考え方こそ再考が必要といえます。
松谷訴訟最高裁判決においても、「DS86もなお未解明な部分を含む推定値であり、現在も見直しが続けられていることも原審の適法に確定するところであり、DS86としきい値論を機械的に適用することによっては前記(被爆者の実体)を必ずしも十分に説明できない」として、DS86としきい値論によって立つ国の考え方の非科学性を摘示しております。
この最高裁判決以降、国が新たに採用したのが「原因確率論」に基づく認定基準です。原因確率論も、DS86により被爆者の被曝線量を計算しているのであり、このことだけでも既に科学的根拠を失っております。さらに、原因確率論は、非被爆者と被爆者を比較し、疾病の種類ごとに放射線の影響がどの程度になるか、男女、被曝線量、被爆時の年齢別に発症の確率を出していると言われておりますが、しかし、そこで利用されているデータを検討いたしますと、非被爆者とされた集団には、遠距離被爆者や入市被爆者が含まれているのです。つまり、原因確率論は、被爆者同士を比較して計算しているものとなっているのです。これでは、正確な確率計算ができるはずはなく、この点でも原因確率論の科学的根拠を見いだすことはできないのであります。
また、原因確率論は、あくまで「確率」を示しているに過ぎないのであり、被爆者一人一人の放射線感受性などは全く無視されたものとなっております。この点、原因確率論を作成した放射線影響研究所疫学部長の児玉和紀氏も、新聞(6月6日付け中國新聞)のインタビューにおいて、「集団のデータを基にしているため、個人個人にあてはめるのはどうかという議論は当然ある。」と述べ、その問題性を認めているのです。その上で、児玉氏は「どこで線を引くか、疫学調査の私たちは言える立場にない。」と、その運用が科学的ではない、政治的思惑で行われていることを示唆しているのです。
実際、原因確率論によっても、2キロ以遠の被爆者が原爆症の認定を受けることはほとんどなく、従前の認定基準の実態と何ら変わっていないのであり、児玉氏の示唆したとおり、政治的思惑による運用の実態が明らかとなっております。
(4) 認定行政の誤りを打破する集団提訴
だからこそ、被爆者たちは、国の非科学的・政治的な原爆症認定のあり方の根本的変換を求めて、全国各地で訴訟を提起したのであります。
被爆者の平均年例は既に70歳を超えており、訴訟準備中あるいは訴訟提起後に亡くなる被爆者もおります。
このような事態に至るまで、被爆者援護を怠ってきた日本政府の政治的及び法的責任は極めて重大であり、被爆国の政府として恥ずべきことと言わなければなりません。
この裁判が、国の非科学的な認定基準を根本から改めさせる重要な闘いの場であることを確認して、私の意見陳述を終わります。